バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
磯崎新の桂離宮論

先週日本から送った20キロ近くある本の荷物が届いた。

今回は郵便局の国際郵便SAL便を利用したが、日曜でも荷物を取りに来てくれ、10日で朝8時過ぎにスペインの自宅まで運んでくれた。以前は東京駅の本局まで重い荷物を運んで行き、送ったのを忘れた一ヶ月過ぎに通知が来て、バルセロナの外れの貨物駅まで車で取りに行っていたのが嘘のようだ。本当に便利になったものである。
その荷物の中には、磯崎新の英訳の桂離宮論が載っているElecta社の『Katsura』も含まれている。一冊で2.2キロある重い本である。ワタリウムでのブルーノ・タウトに関する磯崎氏の講演会後、出口で売っていたのを買い求めた。『桂離宮論』が初めて英訳され本に出たということを講演でご自身が言っていたのを思い出し、かなりの豪華本であったが、清水の舞台から飛び降りる気持ちでエイヤッ!と買ってしまったのである。そしたら急に本来の建築ミーハーが目覚め、まだ人と話していた磯崎氏本人にサインをお願いし、その本の巻頭論文である自身の名前のところにARATA Isozakiとサインして頂いた。
「光栄です。」と、もう天にも上る気持ちで感動に打ち震えながらワタリウムをあとにした。
そのサインのある英文の『桂離宮論』をこの週末イースターの休みにがんばって読んだ。たくさんの著書のある磯崎氏の日本語のどの本よりも、氏特有の文学的レトリックがないので明快で分かりやすいものであった。ブルーノ・タウトに始まる桂離宮評価の変化をエポックごとに捕らえ直し、堀口捨己、丹下健三の日本の建築デザインの伝統とのかかわり方を、その時代背景からも日本の近代建築を深く鋭く読み解いたもので建築デザイン論の力作であった。
清水の舞台から飛び降りる気持でこの本を買った自分に納得できた。
| u1arc | ブルーノ タウト | 18:52 | comments(0) | trackbacks(0) | -
タウト−ワタリ−磯崎 高崎でのルーツ探しの旅

今回のワタリウムでのブルーノ・タウト展の実行委員長は磯崎新氏である。今回日本に一時帰国するに当たって、自分のルーツ探しをすることも目的の一つであった。
学生時代、建築家への道を行くことを決心させた重要な要因として思いつくのが、この二人の建築家である。磯崎氏によって建設技術だけでない建築デザインの知的好奇心に目覚め、その彼の建築方法論が純粋な形で実現化された群馬県立美術館は、それまで日本にはなかった新しい建築空間を感じさせてくれてワクワクしたものだった。またタウトは、彼の著作である『日本文化史観』や『日本美の再発見』で建築を文化として見る考え方に共鳴し、大学院へ進み建築デザイン理論の道を向かわせる勇気を与えてくれたと思う。そして何よりも、、『アルプス建築』のオリジナルの本の絵の美しさに触れ、その本を所有することになったことが決定的だった。私が現在バルセロナで建築家としてやっているのも、そのきっかけは磯崎氏によるところが大きいと思う。
そして、今回グーグルの検索機能を使うことによって、ますますこの因縁が深まって、タウトが2年3ヶ月も滞在していた高崎へ行く事を決めることになったのである。というのは、高崎と私の祖父の名前を検索したところ、明治39年当時13歳であった祖父の詩が、旧制高崎中学の文集から発見されたのだ!亡父が生前探していて今まで不明だった先祖の寺が長松寺であることが判明し、その寺の過去帳から曾祖父が確かに葬られていたことが分かった。住職によるとこの中学は現在の高崎高校の前身で、このお寺から始まったという。住職にスペインから持ってきた先祖代々の位牌を渡し、お経をあげてもらった。その後お茶菓子を頂いたが、また偶然にもその名前がタウトであった。部屋には、福田赳夫元首相と一緒に写っている住職の写真が額に入れて飾ってあった。福田元首相も同窓とのことであった。タウトのパトロンであった井上房一郎氏もこの学校の出身で、この人が戦後の日本文化を政治的に引っ張って行ったということも分かってきた。達磨寺の洗心亭の横に立っているこのタウトの石碑『ICH LIEBE DIE JAPANICHE KULTURE(私は日本文化を愛する)』のオリジナルの掛軸は、井上氏が後輩にあたる中曽根元首相に贈ったという話もある。そして1974年に群馬県立美術館プロジェクトで、井上氏がタウト、レーモンドの後の第三の建築家、当時43歳であった磯崎氏のパトロンであったという。一級建築士制度を作り、登録第一号と言われる若き日の田中角栄元首相も、氏が経営していた建設会社の元社員で、高崎観音プロジェクトに関わったらしい。曾祖父も左官職人としてこの会社と深い関係があったと父から聞いていたことを思い出した。
なんという歴史のめぐり合わせなのだろう。また、私の高校時代の親友たちの父親は、この学校の卒業生で、その親戚は群馬を代表する画家、山口薫である。そう言えば駿河台画廊を経営していた彼の母は、彫刻家の宮脇愛子さん(磯崎氏の妻)と親しかったらしい。祖父の出ていた学校の文集にこれらの人すべての名前がほぼ見出された。3人の首相と日本の芸術を背負ってきた人たちは高崎で不思議な縁で繋がっている。
それにしても知りたいことを瞬時に検索してしまうグーグル恐るべし!
それで今回、ワタリウムでのタウトをテーマにした磯崎氏の講演へ行くことになった。そしてさらに、ワタリウムの前身であるギャルリーワタリで、恋人時代、うちのが25年程前に働いていたのも何かのめぐり合わせなのだろうか?
| u1arc | ブルーノ タウト | 20:51 | comments(0) | trackbacks(1) | -
桂離宮はエロティックな建築!

先日ワタリウムで、建築文化評論家、井上章一さんのブルーノタウトをテーマとした講演があった。関西弁の語り口で、何か楽しい漫才を聞いているような面白い話であった。
井上さんは「つくられた桂離宮神話」の著者として知られている。タウトが桂離宮の美の発見者とされていることに注目し、いかにそれが当時、戦争前夜の日本建築状況、時代背景によって「美しい国日本」が意図的につくられたものであるかを豊富な文献資料によって解明している素晴らしい本である。
その井上さんが主張するのは、「実は桂離宮はエロい建築である。」と。中書院には畳3畳の楽器の間があり、その隣は浴室、トイレでこの空間は、どうもエロいという卓見である。なるほど。それでこの3畳の間で行われた秘め事は、女性の体を楽器にした行為が行われたという。Electa社から出ている豪華英語版の「Katsura」ではMusic Pavilionとある。うーん、益々妄想が広がってくる。三島由紀夫の「音楽」ではエクスタシーを感じることを「音楽を聴く」と書いてあったことを思い出した。雅の世界に通じている三島であるから、そうだったんだあ。と,最初井上さんの暴論だと聞いていたことが、正論に思えてきた。そして、八条の宮は自分と光源氏を重ね合わせ源氏物語をテーマとした桂離宮を建立したと言うたいへん納得の行く説明であった。多分、愛人エリカと逃避行していたタウトだから、桂離宮のレアル(本当の)美しさを感じていたに違いない。
だからこそ桂離宮は美しいのだと言うことが再発見でき、エロチックな建築は研究に値することがこの井上さんの講演で再確認できた。
| u1arc | ブルーノ タウト | 05:03 | comments(0) | trackbacks(0) | -
ブルーノ タウト 愛の逃避行


今、一時帰国で日本に滞在している。丁度ワタリウムでブルーノ タウト展をやっているので行って来た。25年程前にブルーノ タウト展をやった時に当時日本では一冊しか確認されていなかった『アルプス建築』のオリジナル本を武蔵野美術大学に貸出したことが昨日のように思い出される。
タウトがヒットラーと離婚裁判中の妻のいるドイツから逃れ、愛人エリカを連れ逃避行先に選んだのが日本であった。3年半の間の2年3ヶ月をこの写真、高崎の達磨寺境内にある洗心亭で過していたという。遠く榛名山を望む風景の良い所で、二人の愛の家としては理想的ではあるが、世界の建築家がよくこの4畳半、6畳二間の家に2年以上もの生活に耐えることが出来たなと、彼の当時の厳しい状況を察することができる。
この写真は一昨日のものであるが、当時のタウトの心境を想うと、上州の冷たい空っ風は骨身に凍みわたった。
| u1arc | ブルーノ タウト | 11:01 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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