『全ては建築である(ALLES IST ARCHITEKTUR)』
これは1968年にウィーンの建築雑誌『Bau』の編集長をしていたハンス・ホラインの有名な建築マニフェストである。
ウィーンの街のシルエットに金色に輝いている穴の開いた正方形は実はチーズでそのコラージュの方法にショックを覚えたのを記憶している。このチーズのような建築をヘルゾック&ムーロンは今の時代デザインしている。
このマニフェストで、箱型の機能主義建築=経済合理主義建築から前衛的なポストモダンな建築デザインが展開する事になる。
磯崎氏の『建築の解体』は欧米の建築デザイン状況を先取りした画期的な本であったのである。
以前にもこのブログで書いたが、私は学生時代この本の影響を多分に受け、知的で刺激的な建築デザインに魅了されてしまったのである。
昨日は、建築家協会で“little Magazines“という展覧会のプレゼンテーションがあった。
そこにはスペイン建築デザイン界の重鎮、ラファエル・モネオ、オリオール・ボーイガス、フェデリコ・コレアと招待建築家として、ハンス・ホライン、アーキグラムのピ−ター・クックがプレゼンターとして加わった。
彼らは60年代、70年代と建築デザイン雑誌の編集に関わり、ヨーロッパ、アメリカ、日本と世界的な建築家のネットワークを作っていた。今は75歳のホラインも当時は30代の血気溢れる建築青年だったのである。
この新しい建築デザインのうねりは、それぞれの国の建築青年達の創る小さな建築雑誌で始まり、やがてはポストモダニズムと呼ばれる文化社会に影響を与える大きな波となったのである。
そして彼らは歴史に残る名建築を創る機会に恵まれた。
23年前、バルセロナに入る前にパリからオリエント急行に乗ってウィーンへ行き、レッティのロウソク店、宝石店、ステファン寺院前のハースハウス(当時建設中)を見て回った。
そのホラインの建築空間にぞっこん惚れ込んでしまって、神様的存在となっていた。
プレゼンテーション終了後、その憧れのホライン氏と会って話をする事ができ、記念にパンフレットにサインをしてもらったのがこれである。
最後に名前を聞かれ、自分の名前まで入れていただき、正に天に昇る心地でピカソ美術館前の展覧会会場へと向った。
左からフェデリコ・コレア、ラファエル・モネオ、オリオール・ボーイガス
スクリーン上は、雑誌『ARQUITECTURAS BIS』の当時の編集メンバーこれに、ドメニク・モンタネールの孫のルイス・ドメニク、ソラ・モラーレスという、そうそうたるメンバーであった。
“little magazines"展覧会会場。
プラスティク チューブの橋で当時の前衛『カウンターカルチャー』を演出している。
会場内。留学中の建築女子学生の姿が目立った。この展覧会は、バルセロナ出身のプリンストン大学の建築学科の教授を中心に企画したものである。
今はなき日本の『建築文化』も67年、72年の2冊が展示されている。67年と言えば学生運動華やかりし頃で、宮内康が建築批評『怨恨のユートピア』をちょうど書いていた時期と一致している。日本の建築ジャーナリズムが一番元気あった時でもある。日本では宮内康はあまりにも前衛過ぎて潰されてしまったが、欧米では当時前衛だった彼らが今や建築界のボスとなっている。
しかし、日本では磯崎、菊竹からの『前衛建築』の遺伝子は、伊東、石山らに受け継がれていると思う。
今の閉塞的で元気のない建築ジャーナリズムを活性化させるためにも、60年、70年の前衛的で活気のあった時代の検証、再認識が必要となってきているのではないだろうか?
このバルセロナの建築展覧会“little magazines"は、今後、世界に向け新たな『建築文化』ムーブメントを起こしていくように思う。
これからは“little blog"がこのような奇跡を起こすような時代なのかもしれない。