バルセロナ建築漫遊記・未来へ

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聖剣伝説のあるハイメ1世が幼年期を過ごしたモンソン(Monzon)城 

このお城が、1216年ハイメ8歳の時、南フランスのモンペリエから幼少期をテンプル騎士団の総長の所へ預けられ、騎士としての教育をさせられていたサラゴサのモンソン(Monzon)城である。
ちょうど、ピレネー山脈を挟み、フランス、西ゴート王国の首都であったトゥールーズの反対側に当たる。エブロ川沿いで地中海の河口から200キロほど上流にある。モンソン城と先回書いたミラベテ(Miravet)城とはエブロ川で繋がっている。
モンソン城の案内板には、ハイメ1世の幼き頃の伝説が書かれていた。それによると、後見人で教育係のテンプル騎士団総長と騎士たちと共に森の中の礼拝堂へ行くと、一人の修験者が現れ、ハイメを招き入れた。その泉の中にTizonaの剣があった。すると総長は「この武器はあなたにたくさんの勝利をもたらすであろう。」と言った。そして、その通りになった、とさ。
既にその頃からハイメ1世の活躍はテンプル騎士団によってプログラムされていたのだ!
Tizonaとは、『Tizona de El Cid』と呼ばれ、11世紀にイスラム勢力をやっつけたスペインの英雄エル・シドの聖剣とされている。ギター曲としてもあるほど有名だ。今でもこの聖剣といわれるものは残っており、1999年までマドリッドの王立武器博物館に展示してあった。そして、その聖剣を昨年エル・シドの生れ故郷であるカスティリャ・レオン州が160万ユーロ、約2億7千万円で買い、ブルゴスの博物館で展示する予定となっている。
ハイメがモンソン城に来た当時、既に聖杯がピレネーのJaca近くのSan Juan de la Pen~a修道院にあることが分かっている。この聖杯はローマで鉄格子の上で焼かれ殉教した、サン・ロレンソ死後、生れ故郷のこのアラゴン、ウエスカ地方に送られ、815年にピレネーのイェブラ(Cueva de Yebra de Basa)の洞窟で発見されたとされている。この聖杯は、『最後の晩餐』で用いられたものの一つらしい。
ハイメ1世を通じ、聖剣、聖杯伝説に一歩ずつ近づいている!


城は廃墟に近い状態。スペイン政府による修復計画がやっと出てきたことがこの掲示板で分かる。


高く聳え立つ外壁には、薄いレンガを積み上げ補強している。

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