2008.03.24 Monday
日本のガウディ (2)
ガウディ建築の最初の日本への紹介者が、今井兼次であることを以前私のブログで紹介した。
http://blog.u1architects.com/?eid=231902 そして、ガウディの最初の研究論文を発表したのが、1959年、建築学会関東支部25回で、61年までに続けて4報の研究論文を弟子の池原義郎と共に発表し、翌年62年には長崎26聖人殉教記念館が完成している。今井の建築が単にガウディのコピーでなく、遺伝子レベルまで深く分析し、それを彼自身の方法で見事に解釈し、インタープレットしたものであることを述べた。 この日生劇場も定礎は62年で、村野藤吾設計により63年9月に竣工している。この時期、今井兼次のガウディ研究により、日本の建築、芸術界で最初のガウディブームがあったことがわかる。今井のダイレクトで遺伝子レベルの深いガウディ解釈に対して、村野のガウディ解釈は、あくまでも近代建築デザインレベル内での高度な建築装飾的導入である。外観ファサードは、20cm厚の分厚いむくの花崗岩を用い、鉄骨鉄筋コンクリート造でありながら、張り物ではない石積み風な重厚な仕上げで、クラッシックを踏襲した表現派的なファサードである。建設当時、まだフランク・ロイド・ライトのマヤ風装飾の石積みの帝国ホテルが隣に建っていたのを意識したものだったという。ライトのデザインした、いわゆる有機的建築との調和を考えて村野解釈に基づく有機的建築風にデザインされたのだ。特に角の柱のディテールは、ガウディのカサ・ミラをイメージしたものに思われる。この柱に現れたものが、あの劇場内の有機的建築の雄、ガウディのモザイク曲線に繋がることを暗示しているかのようである。 ガウディの建築デザインを、近代・現代建築デザインに昇華している村野建築は日本の宝であると思う。 |