2008.07.07 Monday
ボーフィルはWalden 7で世界の建築家となり、そして建築を捨てた
先週のサッカーのユーロカップ、昨日のテニスのウィンブルドンのナダルの優勝といい、スペイン国中大いに盛り上がっている。
男子テニスは、マノロ・サンタナ以来42年ぶりの快挙という。サンタナと聞いて、中学時代から硬式テニスを始めた私にとってはその頃のカッコいいバックボレーの写真を真似て、友人とテニス選手を目指していたことが懐かしい記憶として残っている。 あのバルセロナオリンピックから16年経つが、スペインはスポーツ王国としても成長をしている。 建築では、ポストモダン流行した70〜80年代当時一人のスペイン建築家が彗星のごとく現れた。その名はリカルド・ボーフィル。確か84年の鈴木博之氏の建築学会の講演でその存在に興味が湧き、86年の夏、バルセロナに来る前、パリの友人に彼の代表作マルヌ・ラ・ヴィレのアブラクサスを案内してもらった。それは集合住宅でありながら、そのローマ建築のコロセウムのような空間の迫力に圧倒された。それ以降、ボフィールというスペイン人建築家の存在が大きくなったのである。その建築はグレーブス、スターンのアメリカ発ポストモダンとは異質なリ、正しくヨーロッパ発クラシックモダンであると感じた。 バルセロナに住み始めて間もなく、当時ボーフィルのアトリエで働いていたダビット(現バルセロナ竹中所長)にそのアトリエを案内してもらった。ボフィールの自宅兼アトリエは、コンクリートのシリンダー状のサイロが建ち並ぶセメント工場の廃墟をリノヴェーションしたもので、そのアイディアとデザイン力に彼のもの凄い才能を見た。外観はコンクリート工場の廃墟だったとはとても思えないほどオシャレでクラッシックモダンであった。そのイメージ力と再生の方法には学ぶべきものが多いと思った。事務所はコンクリートのシリンダー群をワンフロアーとして使っていて、4つ葉のクローバー型の不思議な空間を生み出していた。窓はカタランゴシック風にデザインされたコンクリート窓枠がはめ込まれ、中世の城館風でもある。屋上庭園の植栽の緑がすっかり根付いて、コンクリート工場廃墟と調和していてとても美しい。 彼の衝撃的国際デビュー作になった集合住宅Walden 7の隣に、同時期70年代前半に造られたものである。この2つの作品は斬新的なアイディアをパワフルに建築化しているボフィル絶頂期の作品であると思う。その大胆な青と赤の色使いと大空間に今まで見たことない魅力を感じたのである。 これは先週カタルーニャ建築家協会文化部でオルガナイズしたWalden 7の見学会の時の写真。デジタル画像で取り直しをした。 今、イギリスからバカンスで帰って来ている風太郎と一緒に参加した。「これブルータリズムだね。」と彼の空間感覚は鋭い。「そう。君の住んでいる近くのスターリングのレスター大学と同じ時期のもんだよ。」「でも、レスターの方が、コンクリート打ちもレンガもしっかり綺麗に仕上がっているね。」これが、当時のイギリスとスペインの施工技術の歴然とした差で、全てを物語っているように思う。 竣工後15年経ったその当時から、外壁面全体に張られたレンガタイルがボロボロと剥がれ落ち始め、防護ネットが張られ、すでにその設計、施工責任の所在で長い間社会問題化していた。その間、世界の建築家にのし上っていたボーフィルは、隣の自邸兼アトリエでこの見たくない状況を目の当たりにしたのである。市当局もこの世界的に有名になった建築を取り壊すことも出来ず、かなりの税金を使って外壁の修理することになった。ボーフィルのオリジナルで魅力的なプロジェクトも、この時期の材料、建設技術的にも未熟であったスペインでは、余りにも前衛的な建造物であったということである。この問題が起きてからのボーフィルは、建築的冒険の少ない普通の建築を造るようになり、アミーガのクリスティーナが言うようにデザインも所員まかせで、建築的興味を失ったようである。 ここが理論と実践を併せ持つ『前衛的建築』の面白い所であるが、それは同時に怖い所でもある。 |