下の絵は私の部屋に掛けてある世界都市の地誌本のオリジナル。 1572 年ケルンで出版された Braun-Hocenbergius の [Civitatutes orbis terrarun]で 当時のリスボンの様子を描いたもの。 版画に水彩絵具で着彩してある。2ページのものを真中で貼り合わせてあり、裏にはラテン語でその都市の説明がされている。 絵にはまだこの絵中央ににある広場にフェリペ2世宮が描かれていないので1550年頃に描かれたものということが分かる。
天正の少年遺欧使節団、支倉常長の慶長の使節団もこのリスボンの港がヨーロッパへの第一歩となっている。
16 〜 17 世紀イエズス会士による初めての西欧文化の影響。当時、日本は大名、侍達の戦国時代。ヨーロッパはスペインのカルロス 1 世、カール洪誓札蹇璽濤陳襪了代からフェリッペ鏡い離好撻ぅ鵝Ε襯優汽鵐垢硫金期に当る。 前回のプログのお知らせの通り、11月30日月曜日にユネスコ バルセロナでの講演"Japon : 20siglos de Arquitectura"
をテーマにして日本の2000年の建築史についての講演を行った。
サブテーマは[ルネサンス(再生)とレインタープレット(再構築)―西方からの日本建築に及ぼせる影響]、スペイン語では[Re-nacimiento y Re-interpretacion :
Influencia del Occidente sobre
la arquitectura Japonesa ]ということに落ち着いた。
この講演を機会にもう一度、西欧と日本の2000年の歴史の流れについて考えてみた。3年前にバルセロナのラサール大学での建築パフォーマンスの時にやはり同じテーマで講演したが、その時は日本の明治以降の建築がいかに欧米の近代建築の巨匠コルビュジェ、ミース、ライト、タウトの影響を受け進化発展し、現在バルセロナに作品を残している磯崎、伊東に繋がって行ったかということを説明した。
今回は、もっとヨーロッパの建築と日本の建築2000年の相互の歴史の中でとらえることができないだろうか?という長い歴史の中で自分の建築論を展開するという野心的な大テーマを掲げてしまい、さらにスペイン人の一般の人を相手にスペイン語での講演となった。
かといって、自分本位の建築学的な講演だと退屈で最後まで聴いてもらえないであろうし、ユネスコの文化講演会に来るスペインのオバサマ達を悦ばすための口説きの殺し文句も考えなくてはならないしで、最後までハラハラ、ドキドキの心身共に七転八倒、格闘の末、講演日を迎えるという厳しい試練の日々であった。
なんとか55枚の自分で撮影した写真(正確に言うとその中の一枚のシッチェスのグランボベダの邸宅は雑誌社のカメラマンのものを使う。)を用意した。
前半は日本最古の神社建築といわれる出雲大社から、現存する日本最古の仏教寺院で世界最古の木造建築で、伊東忠太の博士論文にもなった法隆寺(日本最初のユネス
コの世界文化遺産でもある。)、京都平安時代からの雅の伝統美を伝える御所、枯山水禅庭の極美、竜安寺、安土・桃山文化以降の桂、修学院、、慈光院、如庵、犬山城、明治維新となり、聖ザビエル天主堂、聖ヨハネ教会
堂さらに現在改築問題でホットな岡田信一郎設計のコンクリートで造られた桃山風[歌舞伎座](1924年)の日本の2000年の建築史の流れをザーと紹介した。
日本も西欧と同様にルネサンス(再生)とレインタープレト(再構築)を繰り返しながら現在まで来ていると。
16世紀は侘びさびを基調とするとする日本文化にヨーロッパルネサンスの華美な文化がもたらされ、竜安寺に代表される枯山水の禅庭園から桂離宮、修学院離宮のような艶っぽい日本庭園建築の空間の美が生まれたという日本の安土・桃山文化とイエズス会修道士によってもたらされたスペインルネッサンスとの関係について説明した。
特に1930年代に来日したドイツ人建築家ブルーノ・タウトを『泣きたくなるほど美しいと』言わしめた桂離宮の日本庭園建築空間の美を3年前訪れた錦秋の修学院で感じてもらった。それをスペイン人に分かるように翻訳すると
“es tan
bella que te entran ganas de llorar”.となる。
これが今回の講演の口説きの殺し文句となった。
そして後半は私がこの12年間、スペイン、バルセロナで日本庭園建築の美をレインタープレットした作品を見せて講演を無事終えることができた。
この講演を準備している最中にイエメン、サヌア近郊で日本人建築技術者が8日間拘束され、その後開放されたというニュースがあった。名前の真下武男になにか聞き覚えがあったので、もしかしたら12年前にバルセロナ日本人補習校で運営を一緒にやっていた真下さんかな、と思ってこの事件に当初から注目していた。開放された時のインタビューに答えていたのはやはり彼であった。助かってよかった!63歳には見えない当時と変わらない姿があった。[無事に帰って来れてありがたい。今は家族としばらく日本でゆっくりしたい。・・・見張りのゲリラと『おくり人』の映画の話をした。(イエメンの小中学校の建設が途中なので)少し休んだらまた戻って仕事をしたい。」と飄々と語っていた。海外紛争地域で危険な目に合い、それでも戻ってその国の学校建設の為に仕事を続けるという日本人の建築技術者魂を見たような気がして元気付けられた。
兵士、武器でない日本の真の国際貢献のあり方を示してくれたように思う。
彼は70年代の若き建築家の時、ピカソの壁画で有名なバルセロナ建築家協会を設計したブスケッツの所で仕事をしていたということを思い出した。それで世界的に有名なリセウオペラ劇場で音楽の勉強に来ていた日本人の女性が奥さんと紹介していた。
やはり、このグローバル化した時代、日本人は若い時に一度海外に出ないと未来の日本はないように思える。
ヴィオレ=ル=デュク建築講話(飯田喜四郎訳) 第10講p330に13世紀のイギリス人哲学者フランシスコ会修道士の言葉に『最年少者は、最年長者だからである。すなわち新しい世代は、過去の全ての成果を受け継ぐので、知識の点では古い世代を凌駕しなければならない。』とある。
先日見たテレビ番組で立花隆が緒方洪庵の適塾博物館で後輩の中学生たちに、「今、日本は新しい鎖国の時代を迎えている。日本語のグーグルで得られる知識量は英語の10分の1にも満たない。もっと視野を広く持ち、日本という小さな枠にとらわれず外国へ目を向けなさい。」ということを語っていた。
ブルーノ・タウトは、また次のようなことも言っている。
『自国の文化的な財宝がわからない人には、国外のものなどわかるはずはない。』
(“El arquitecto debe sumergirse en la meditación en un entorno solitario y
de silencio.” )
と。
今が新しいルネサンスの真っ最中。我々の日本文化のレインタープレットが必要とされているのだ。