バルセロナ建築漫遊記・未来へ

バルセロナから未来への気ままな発信です。
福島第一原発事故と戦う対放射能巨大ダムの必要性
2週間前この大震災のお見舞いに来てくれたおじさんが一昨日亡くなった。
その葬儀がバルサのカンプノウ球場の前にあるレスコルツの墓地で執り行われ、今帰ってきたところである。

地震・津波・原発の 大震災から3週間の時間が経った。
原発はまだ制御不能の状態が続き、高い放射能が外に漏れ出している。
その問題解決には10年以上の長い時間がかかることが指摘されている。

この間注意深くその経緯を見てきたが、それは、いままで日本の原発は高技術で安全という日本の技術過信主義がもたらした弊害がこの原発事故をここまで拡大させた原因と考えられる。

心配していた通り、原子力安全委員会と保安院というものの存在がまったく機能していなかったように思える。それは、原発を推進する経済産業省の付属部所内にあるので、事故の最悪のシナリオを想定した処置を取ることができなかったと言うが最大の理由であろう。

菅首相、枝野官房長官から原子力の専門家の話を聞き判断をして原発事故に対処して行ったそうであるが、原発推進派の委員からしてみれば当然廃炉を覚悟した海水の注入は躊躇するのは当然のことであるように思うので、今回の初動の遅れはどうしても否めない。
原発推進派の専門家からの意見が今回の原発事故を大きくしてしまったように思える。

アメリカ、フランスの原発先進国は、スリーマイル、チェルノブイリの原発事故を教訓に、原発を強い権限で監視・管理できる保安院を独立して設置しているという。
このことを1999年の東海村原発の臨界事故の年の法案に盛り込むように義父が国会で訴えたのだけれども、当時与党であった自民党の原発推進政策により叶わなかったことが当時の記録により知った。

それは首相一人の責任というよりか、今までの日本の原発推進政策・制度の在り方の問題であろう。

この原発事故に対して、まだ復興への道のりは見えない。そのことが私達を不安にしている最大の要因である。
これから長い間続く、原子炉の冷却作業であるが、注水作業をすると原子炉内から漏れ出す放射能汚染水が問題となっている。
その問題に対して、一時的にタンカーに入れ込むという案が現実味を帯びてきているようだが、恒久的には無理がある。

例えば、一杯になる前に今すぐにでも新たな、砂防ダムならぬ対放射能巨大ダム+地下貯蔵プール建設を原発を取り囲むように2キロ以内に建設する。建設しやすい所から始めて、15度の角度の区切りを目安にする。合計12のダムの集合体となる。できた順に汚染水を地下貯蔵庫に入れていくようにする。
またこれらの原発解体に伴う放射能汚染した廃材を保管する倉庫も必要だ。

まるでルドゥーの製塩工場の半円形プランのイメージの様に。

今までのダム建設の豊富な実績のある世界に誇る日本のスーパーゼネコンの技術力を結集することができれば、日本の救世主に成り得るのではないか。

福島第一原発事故と戦う対放射能巨大ダムが、エコ原点のメモリアルパークになるに違いない。

そのような人類未来を見据えた大転換となるような思い切った歴史的『Change=チェンジ』が必要になってくると思う。

政府として国を挙げ、その不安を取り除く『エコ原点のメモリアルパーク』になるような建築的アイディアを早急に募り、実現化するべきではないか。

| U1 | !!!がんばれ 日本!!! | 16:26 | comments(0) | trackbacks(0) | -
!!!がんばれ 日本!!!  ¡¡¡Animo Japon !!!       『Re−日本』のために
日本で大地震が発生してから1週間近くが過ぎようとしています。
皆様が無事であることをお祈り申し上げます。

スペインの24時間ニュースでもNHKのニュースを右隅に常時放映されており、スペインの友人達からのお見舞いメール・電話など多数いただきました。皆本当に心配してくれています。ありがとう。

日本の建物は地震の揺れにはほとんど被害はなかったけれど、想定外の大津波で海岸近くにあった村は流され酷いことになっている。今一番心配なのは原発施設の火災だと説明しています。

25年前の1986年、ヨーロッパに来る少し前にチェルノブイリ原発事故があって反核から反原発運動が展開されました。
放射能汚染が心配されるヨーロッパへの懐妊7ヶ月の妻との旅行は、今思うと相当の覚悟の末の決断であったと思います。

近くには敦賀、大飯のたくさんの原発が集中する福井、小浜出身で、反原発運動を長年続けてた今は亡き義父が、チェルノブイリの原発を事故5年後に視察しヘリコプターで上空からた見た時にも、ガイガーカウンターの数値がまだかなり高い値を示してしたということを思い出しました。その体験を元に、原発事故を決して起こしてはいけないと切々と私達に語っていました。
東海村のJOCの臨界事故が起きた1999年年末、こちらの日本語放送のテレビに当時民主党の議員であった義父が国会で「一番に原発の保安体制を整えるように」と真剣に訴えている姿がありました。

#JOC臨界事故で検索してみると鳩山元首相、江田現法務大臣と3人並んで写っている姿がありました。
そこでは、
「原子力災害のマニュアルはあるが、『事故は起こらない』ことが前提になっている。国際的水準から見て恥ずかしい内容」だと述べ、辻議員も迅速な初期対応ができる防災専門官の配置などを定める原子力防災法の必要性を強調した。」
とあり、今回の事故でこの防災法が生かされなかったことが本当に悔やまれるところです。

もう少し長生きしていれば、その重大性を認識していたので迅速に政治的決断ができたのかもしれません。


ここまで来たら冷静に事態の推移を見守ることしかできません。
少しでも心が休まりますように、ジミー・ペイジのギターの素晴らしい、ツェッペリンの
Stairway to Heaven=天国への階段
を送ります。

#ジミー・ペイジはアーツ&クラフトの建築家で日本の西洋建築=アーキテクチャーの生みのルーツであるW・バージェス設計,ロンドンのThe Tower Houseに現在住んでいて、このバージェスの建築が気に入り保存運動にも熱心であるらしい。

被災された方々には心よりのお見舞いと、くれぐれも体を大事にして、これからの新しい日本=『Re−日本』を創り上げて行きましょう!

!!!がんばれ 日本!!!
¡¡¡Animo Japon !!!
『Re−日本』のために

2011年3月17日 
バルセロナより
鈴木裕一
| U1 | !!!がんばれ 日本!!! | 07:26 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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