バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
昨日4月30日は荷風忌
 昨日4月30日は永井荷風の亡くなった荷風忌で、私の57の誕生日であった。

荷風は文京区にある付属小、中、高校の大先輩にあたり、18歳で吉原を知り、アメリカ、フランスでなど外国生活も長く、その文学作品と粋な生き方に昔から憧れをおぼえてきたのである。

今回は3月から4月にかけて日本に一時帰国した際に、都電で終点三ノ輪まで行く機会があり、ついでに浄閑寺内にある谷口吉郎がデザインした永井荷風の墓碑に参ることにした。
東京下町のブラ散歩名人だった荷風は、浅草、吉原のこの界隈を好んで散歩していたようで、特にこの吉原の投げ込み寺で知られる閑浄寺には好んで通ったようだ。
そこに葬られたいと記していたその想いを叶えることになったらしい。

それで1963年荷風が亡くなった4年後に、遊女らの『新吉原総霊塔』と向い合せに谷口吉郎設計で完成した。

墓碑は大谷石6段積みの壁でL字型に囲われている。





明治の女性が愛用した花畳紙を象ったモニュメントの墓碑。

一辺が20兩吉角形で高さが30僂△蝓▲好─璽妊鷸困両豆色の御影石で彫られている。
背景の壁の中央の目地と正八角形の正面の荷風の自著の文字が彫ってある一辺を合わすようにデザインしてある。
背景の壁は90+20+90=200の長さの大谷石が墓碑を中心にしてシンメトリーに積まれていることになる。
墓碑の台座にはこれもスエーデン産の黒御影石のを磨きこんだものを使い、ベースは多分国産の稲田石の白御影石を切り出した状態で使っているのではないかと思われる。
この白ー>黒ー>赤のボリュームのプロポーションと色と形のコントラストが絶妙にデザインされていて風格があり美しい。

この中には偶然のことから発見された荷風の2本の歯がここに収められ、一種の分骨になっているとのことである。


荷風墓碑から遊女らの眠っている『新吉原総霊塔』を眺める。


荷風墓碑入口前に立つ『新吉原総霊塔』


この黒御影の石板に書かれた詩文は、『偏奇館吟草』中の奇しくも《震災》であった。
90+20のモジュール壁4.20mにしっかりと嵌め込まれている。
(この震災とは1923年に起きた関東大震災で、特に下町のこの辺りでは大火でたくさんの人が亡くなった。)

この荷風墓碑で、シンケルにも通じるギリシア建築のモニュメント性を深いところで理解し、デザイン設計している谷口建築の凄さを再確認した。

谷口建築作品に日本的伝統と格調を感じるのはそれ故なのだということが理解できた。
今回の一時帰国の最大の収穫であった。

| u1arc | 谷口吉郎 | 13:05 | comments(1) | trackbacks(0) | -
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