バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
上野の国立博物館に向かい合う父=谷口吉郎と子=吉生の建築

 

このパネルは6年前、バルセロナにあるラサール大学建築学部の建築展の為に作成した谷口吉郎のパネルである。
伊東忠太は明治25年(1892年)卒業論文『建築哲学』で西欧の建築概念[architecture]=[美術建築]とインタープレットし導入した。それに続く第2世代(1920年から1945年)の[美術建築]を進化させた建築家として堀口、村野、前川、谷口の4人を選んだ。谷口も指導教授伊東忠太の下で1928年に卒業論文『建築哲学』を提出している。

[美術建築]にとっていかに哲学が重要なテーマであることが分かる。

前回のブログでは三ノ輪の浄閑寺内にある永井荷風墓碑で建築家谷口吉郎の凄さを実感できたが、その近くにある代表作の一つ上野の国立博物館・東洋館にも行ってきた。



正面にある本館は1938年に瓦屋根ののった<帝冠様式>で渡辺仁設計で建った。当時建築デザインに屋根が乗った<帝冠様式>を要求したコンペとなり、前川国男等いわゆる外観的にフラットルーフが特徴のモダニズム建築を目指していた建築家達から批判され、建築論争にまで発展した。その時あえて<帝冠様式>を無視しミース風のモダニズムの建築を提案して落選した前川は『負ければ賊軍』という論文を発表している。



その向かって右手にある谷口吉郎設計の東洋館、1968年竣工。
これまで谷口が好んで使ってきたテーマである和風の『高殿造り』のデザインである。
縁側回廊、高欄の手摺と軒の深い屋根、それを支える8本のすらっとした柱頭のない柱で水平線を強調してモダンでエレガントなシンメトリーのファサードを構成している。
所謂ジャポニカスタイルと当時批評されたが、今改めて見ると本館の<帝冠様式>を超えた格調高い建築になっていると思う。



今までは東洋館に向かい合うように建っていたのは、1908年赤坂離宮を同じ年に竣工した片山東熊設計のルネサンス様式の表慶館であったが、その奥に新しく法隆寺宝物館が建っていた。
薄く水を張った池に玄関までスーと延びる橋の様なアプローチ。この繊細なモダンな建築は吉郎の子=吉生のデザインと確信する。
長いこと海外に住んでいると日本の多量に垂流されている建築ジャーナリズム情報に汚染されていないので素直に建築物と向き合えるのがいい。



低く抑えた入口に向かって池の中を渡るアプローチ。
ガラスのスクリーンに映し出される博物館敷地の風景。これも一つの借景となって美しい。
ファサード部分の天上を4本の細長い鉄柱で支えられたシェルターが深い軒で影を作り、映画のスクリーンの様になっているのだ。この4本の鉄柱で仕切られた空間はこの建築のモデュールで、この建築の尺度を規定していることを表していて、この建築の比例システムを構成していると思われる。

この建築のフォルムが美しいと感じるのは、建築の統一と調和の原理である比例と尺度のシステムによって構成されているからだと考えられる。
ギリシア建築の古典建築原理を研究したシンケルを留学先のドイツで学んだ父=吉郎の遺伝子を子=吉生もしっかりと継いでいる。



館内より入口部分。法隆寺回廊の連子窓子をイメージしてデザインしたと思われるファサードスクリーン(カーテンウォール)部分。その前には深い軒下空間があり、その前には池庭空間が広がっている。外部空間との間に2層のレイヤーをかけ内部空間との緩衝空間を設けて、美しい池庭空間を内部に引き込もうとする日本的空間の特性をインタープレットを行っている素晴らしい空間だ。

父とは異なった方法で日本的空間のインタープレットして自分の作品としているのが興味深い。
この上野の国立博物館内に向かい合う建築によって、父=吉郎の進化系が子=吉生であることを実感させる。





館内には建築業協会賞受賞のプレートが貼ってあった。
やはり設計は谷口建築設計研究所となっていた。
竣工は平成13年(2001年)とあるので、伊東豊雄さんの仙台のメディアテークとほぼ同時期に建ち上がっている。

この二つの建築は20世紀の建築を超える21世紀の建築を創ろうとする建築家の強い意志が感じられる力作である。
| u1arc | 谷口吉郎、吉生 | 19:31 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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