バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
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ヴェズレーのラ・マドレーヌ大聖堂 ―マグラダのマリア伝説―
日は西に傾きかけてきたが、リヨンからさらに北上する。

今回の旅では、ルドゥーの製塩工場を見る前に、せっかくなのでブルゴーニュ地方ディジョンの西にあり、世界文化遺産になっているヴェズレーに寄ることに決めていた。

そこにはマグラダのマリアが奉られているラ・マドレーヌ大聖堂があり、フランスからのサンチャゴへの道の重要なスタート地点でもある。そしてシトー派の創始者ベルナールが第二回十字軍召集した所で有名である。また建築的にはヴィオレ・ル・デュクの最初の重要な改修作品となっているので、私にとっては絶対に外せない目的地となっていたのである。

なので、トイレ休憩無しの決死の覚悟で、夕食に間に合うように近くのホテルまでひたすら走ることとなった。

8時過ぎには何とかホテルに着き、近くの村のレストランで食事をとる。当然、この強行軍に家族の機嫌が悪い。
「明日はヴェズレーのラ・マドレーヌ大聖堂に行った後に、シトー派の修道院三つ見る。」という予定に、
「修道院ばっかり見たくない。車に乗りに来たのではない。」
と家族内反乱に合う。

次の日、車を大聖堂の際に止め、各自、自由行動とする。

一人でじっくりと大聖堂を堪能する。



写真やデュクの図面で知っていたがバランスの悪い不思議なファサードをしている。

11世紀から13世紀フランス中世の時期に、火災に合うなどして何度も改築を重ねていて、その後、宗教改革とフランス革命により大聖堂は人々に略奪、破壊され、ほとんど廃墟に近い状態だったらしい。それを、当時まだ改修経験のほとんどなかった若き日のデュクがその大役を引き受けることになった。この経験が後に彼の重要な著作『中世建築辞典』や『建築講話』として結実していくのである。

感慨無量でこの大聖堂正面ファーサードを眺める。

少し見ていくと、このバランスの悪さは右にあるはずのゴシック様式の第3層の塔屋が左に付いていないのがまず原因であることに気が付く。でもまだしっくりとこない。第1層、第二層、左右両側の部分の開口部は、半円アーチのロマネスク様式で、中央玄関のアーキトレイブは、新しい石でロマネスクの立派な彫刻がされている。それに対し、中央第2層はゴシック様式の尖頭アーチの細長い開口部にステンドグラスが嵌っている。ロマネスク様式をベースとして、その後ゴシック様式で改築していることが分かる。

ロマネスクとゴシックの建築様式の違う2つの様式が合体したものなのだ。
これがファサードの調和を乱している原因であったのである。

若き日のデュクは、建築様式の混在しているこの大聖堂でいきなり建築様式との格闘を余儀なくされ、デカルトの方法論を建築考古学に応用し、慎重に分析を進めていくことを思いついたのかもしれない。そしてその当時の彼自身が最良と思われる合理的な改築プロジェクトを纏めたように思われる。

当然、アカデミックな考古学者からすれば正確な修復でないとして非難を受けることは必至で、実際にデュクの改修には問題があるという批判が現在では一般的である。

しかし、千年以上の時を経た歴史的建造物は、創建当初から、各エポックのさまざまな条件の違いによって改築を重ね続けて今日に至っているのである。それをデカルト的方法で慎重に分析し、そして合理的にその建築を現在のあるべき姿に改修することは、知的で創造的な行為である。
デュクはそれが『真の建築家』の在り方なのだと考えたのだろう。

150年程前にこのデュクによる改修工事があったからこそ、今、私たちは世界文化遺産としてこの大聖堂を建築芸術作品としても楽しむことができるのである。

偉大な建築家、ヴィオレ・ル・デュクに感謝しなければならない。




ヴィオレ・ル・デュック 建築講話機1863) 飯田喜四郎訳 (1986)



ロマネスク様式の半円アーチの身廊天井部分とゴシック様式の内陣尖頭アーチの交差ボールト天井の接合部。


12世紀末にゴシック様式で改築され光に満たされた明るい内陣。



初期ロマネスクの後陣アプス部分。上部は飛梁を使いゴシック様式の内陣全体を採光の為の塔として創っている。ロマネスク様式の空間を後にゴシック様式で改築し、それが調和し融合している。いわゆる折衷様式ではない。




だから、土居さんのブログで『メタ概念としての建築(保存がモダンを生んだ)』に書いているように

19世紀の歴史的建築の研究→メタ概念としての建築→近代建築運動

と言うことに私も同感である。



これは地下礼拝堂にあるマクラダのマリアの聖遺骸(本物かどうか分からない)の入った美しい入れ物。

教会のパンフレットには、882年にプロバンスのサン・マクシミン聖堂から持ってこられたが、1267年にサン・マクシミンで新たに遺骸が見つかり、1279年にそれが本当のマグラダのマリアの聖遺骸として正式に承認され、それまでの聖遺骸は偽物として一気にヴェズレーの人気が衰える。その後、デュクの改修工事が終わってから、1870年、76年にマグラダのマリアの聖遺骸として正式にヴェズレーに贈られたものが、この中に入っているものであると。

マグラダのマリア自体伝説上の人物である。話題作『ダヴィンチ・コード』ではキリストの妻であり、子どもを作りその子孫が現在まで秘密結社により守られ『王家の血脈』として繋がっている。というヨーロッパの歴史上重要な女性である。今回の旅では、その伝説を生んだ歴史的理由なども自分なりに少し解明してみたいとも思っていた。

2人と1匹の家庭内反乱分子をヴェズレーの丘に残し、次なる修道院を目指し、さらなる建築探求の一人旅は続く。
| u1arc | 世界文化遺産 | 09:40 | comments(0) | - | -









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