バルセロナ建築漫遊記・未来へ

バルセロナから未来への気ままな発信です。
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秋晴れのモンセラットへダル連れハイキング
 昨年に続きモンセラットへダル連れハイキングが昨日秋晴れの日曜日に行われた。

モンセラットの麓のコルバト村に住み、郷土史家でもありモンセラのことは知り尽くしているアスンプタ夫人により企画された。彼女は私たちのマツの子、愛犬ダナのオーナーでもある。今回は9世紀に造られたという対アラブの為のモンセラの城跡を見るルートで、人も少なく犬を散歩させやすいコースを考えてくれた。



モンセラット自然公園の標識



ダルファミリーズ



サン・パウ・デ・ラ・グアルディアを望む。

車でモンセラの西の村、サン・パウ・デ・ラ・グアルディアまで行き、そこからなだらかな坂道をダルたちと登るコースだ。この村は中世はオスタルのあるモンセラに行く手前の村として栄えていたらしい。
モンセラを通るサンチャゴへの道のカタルーニャコースだったらしい。現在もそのコースの標識が立っている。また,レリダ、サラゴサ、マドリッドへの道で、400年程前に天正の少年遺欧使節団、支倉常長の慶長の使節団がモンセラットの修道院へ行く為に通った道でもあるらしい。

普通のハイキングコースではない、日本とスペイン、ローマへと繋がる歴史的に重要な道であったのだ!



『サンチャゴへの道』カタルーニャルートのカタラン語表示。[CAMI DE SAINT JAUME]



森の向こうに奇岩の連なるモンセラが見える。



バイク好きで、焼きネギパーティの時に大活躍するジョルディがこの日着てきたTシャツ。

9世紀カタルーニャ最初に対アラブのレコンキスタの為に造られた城らしい。今は城はないが、僅かに教会跡が残っている。この城はワグナーの『パルジファル』舞台のモンサルヴァート城のモデルとなったらしい。
ケネス・フランプトン 『現代建築史』青土社 p120
「中世の伝説によれば、ワグナーが楽劇『パジルファル』の中で讃えたように「聖杯」はモンサルヴァート城の中に秘匿されていたが、この城の位置がモンセラートであることが近年確認されたのである。」
とある。
アスンプタによると彼女の住むコルバト村にはワグナーが滞在していたらしい。
モンセラ=黒いマリア=聖杯伝説=ワグナーと思いがけず繋がってきた。



18世紀、火による交信をした塔の廃墟。



屏風のように奇岩が聳え立つモンセラの山。



奇岩の手前にある小高い山の部分に城があり、その右側の麓の部分に教会跡が残っている。
この場所に12世紀まで城があったという説明であった。
モンサルヴァート城跡か!?!
と言うことはそれまで聖杯はここに隠されていた可能性が高い。
左の端の奇岩は以前紹介した、[ロカ フォラダ]



ガウディはこの三角形の穴の開いたところに鐘を吊るし、カタルーニャ全土に向けて一日3回のお告げの鐘を鳴らす記念的な鐘をつけなければならないと考えた。

この不思議な風景を背景として中世の城が建っていたことを想像すると、『聖杯』がここで守られていたことが信じられる。

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