バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
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イグナシオ ロヨラの聖洞窟教会−2

一昨日はスペイン中大荒れの天気で、バレンシアの海岸にも雪が積もりスペイン中の道路は大混乱となった。

今日はこの冬一番の冷え込みとなり、このようにきれいに晴れ上がった。左に見える山がモンセラットで右に見えるのがサン リョレンス山。頂上付近には白く雪が見える。手前に見えるのが私の住むサン クガットの街。右の隅はCentro Borjaと呼ばれるイエズス会の重要な施設のある所で、最近そこにクリアポリスと呼ばれる最新設備を誇るESADE大学院ビジネスコースの建物ができた。授業は全て英語で行われ、今年から寄宿舎完備で米国の学生を中心に1500名が世界中から学びに来る。
世界教育の一大センターが誕生したことになる。

今年の正月の松飾はここらあたり(上の写真を撮った場所)に生えていた2本の松を根引きし門松として使わせてもらった。


今日はその松飾を外し、森の奥にあるこのレンガ造の古い橋の上からから下の沢に流す。


 

先回の続きで、イグナシオ ロヨラの聖窟教会の中を見てみよう。
マンレサはバルセロナから北へ50キロ、私の住むサン クガットからは30キロ行った所にある。奥に見える立派なゴシック様式の建物は、マンレサのカテドラルSeuで、14世紀にバルセロナで一番美しいゴシック教会サンタ マリア デル マールと同じ建築家、ベレンゲール デ モンタグートによる。主身廊のスパンが20m近くもあり、建築構造的にも優れたものだ。



これから教会の中にあるイグナシオ ロヨラが10ヶ月ほど籠り霊的修行をした洞窟を見に行く。ここでの体験が『霊操』として書物として纏められ、イエズス会の宗教原理となっている。ここが聖窟教会の入口。スペイン、イエズズ会のバロック教会の原型といわれる。この教会がカタルーニャのバロック教会のアーキタイプ(原型)として各地に広まったようである。

少し文献を読んでスタディしてみる。
最初は洞窟の上に十字架が建てられただけのものであったのが、時代を追うごとに整備され、そして1622年にフランシスコ・ザビエルと共に列聖されると聖窟礼拝堂が造られた。1666年以降本格的に教会建設が始まり、現在のように立派なバロック教会と新古典主義風の2つの建物が合体しているものとなった。約500年の間に増改築を重ねて今の姿になっていることが建築学的分析を通して分かった。

正面ファサードは古典的な付柱を何段にも重ね、装飾的な彫刻が施されている。コリント式とイオニア式を合体させたコンポジット式のオーダーのようである。バラ窓の形ははバロック特有の歪んだ真珠のようでその周りには天啓の如く御光が射している。ニッチの中に入っているのは『霊操』体験を書いているペンを持ったイグナシオ ロヨラの彫刻であると思われるが、その下にある王冠と紋章の彫り物のようなものがあるが、調べてみると1666年から100年後の18世紀中頃のカルロス契ぁ▲ール鎖誓札蹇璽濤陳襪量羮呂任△襦


このバロック教会部分も、1666年当時は聖窟部分、丸窓と8角形窓を中心にして造られた。8角形窓だけが本当の窓であり、後はバロック装飾の飾り窓で穴が開いていない。正8角形は天国の生活(heavenly life)を意味する重要なイコンである。その上には大天使が槍を持って立っている。両側の円は永遠(eternity)でその上にはキューピットが飛んでいる。イオニア式のオーダーの間にこの飾り窓が造られている。この窓が最初11個あるものが造られ、約100年後の1750年頃に倍に増築され、イオニア式のオーダーは23スパンあるが入口部分に近い13個はバロック装飾の飾り窓の付いていない現在のバロックの立派な教会が造られたようだ。


なので、紋章はその当時のカルロス契い離好撻ぅ鷁室紋章が彫られている謎が解明できた。いずれにしても、この教会が建設当時、スペインハクスブルク王室のレアルな教会として重要なものとして建てられていたことがわかる。



金を多用した派手で装飾的なバロック様式の正面祭壇。貝殻のような天蓋。濃紺のマドンナブルーよりも明るいトルコ石ブルーとでも呼べるような水色の衣服を纏ったマリア様が祭られている。




祭壇から入口部分を見る。祭壇とはうってかわって、シンプルなトンネルボールト天井の身廊部分。



聖窟への入口。この前室はガウディの師であったジョアン・モートレールが19世紀末にプラン、絵を残しているが、実現されたのはマウメジャン兄弟で1915年にモデルニスモ様式でレインタープレットされ、また入口の天使のブロンズ彫刻は、モデルニズモ彫刻家として有名なジョセップ・リモナによるものだ。入口天蓋はマルティン・コロナスがデザインを担当しジョアン・フロタスが製作した。

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これがイグナシオ・ロヨラ聖窟!!!

左壁面と床はモザイクタイルできれいに装飾がされているが、右側側面上部と天井部は岩盤をそのまま自然に露出させ、奥に行くにしたがって緩やかにカーブを描き狭まっていく。その奥には『霊操』を書いているロヨラのレリ−フ彫刻と祭壇がある。熱心に祈りを捧げている人がいたので、その人の祈りが終わるのを待って、シャッターを切る。

それにしても瞑想パワーを感じるところであった。
若き日のガウディもこの聖窟教会のパワーを得ているに違いない。

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楕円のレリーフは1666年にジョアン・グラウによってアラバスターに彫られた聖人イグナシオ・ヨロラの一生を描いたもの。全部で9枚ある。中央の四角い金の額縁に入っているものは、ロヨラがマンレサ滞在中に、祈りを捧げていたと言われるサンタ・クララ修道院のキリスト磔刑のゴシック14世紀のもの。1666年当時この聖窟を造ってている時に雷に打たれ落ちてきたのをこの場所、中央に設置したといういわれがある。1622年にフランシスコ・ザビエルと共にローマ法王グレゴリオ将浩い砲茲辰椴鸚擦箸気譴襦


フランシスコ・ボルハの像。スペイン国王カルロス祇し鷽誓札蹇璽淞觜颯ール浩い梁Χ瓩箸靴道鼎─▲タルーニャの副王になるが、1546年に妻が亡くなると新たに組織されたイエズス会に入会を決める。1565年に第3代イエズス会総長になり、宣教師を育成するローマのグレゴリアン大学を創設する。イエズス会第2の創設者と言われ1671年に列聖されている。
前にも書いたが、私の住む家の近くにはボルハの名を冠したイエズス会の重要な施設、図書館があり、昨年からESADE大学院大学”クリアポリス”として生まれ変わった。ロヨラもカルロス祇い竜鎧里箸靴謄僖鵐廛蹇璽幣襪旅極匹忙伽錣靴討い襪里妊椒襯呂箸盞劼ってくる。

カタルーニャはカルロス3世が1708年にバルセロナで挙式したが、 カール裟た誓札蹇璽濤陳襪砲覆襪海箸鮠魴錣1714年9月11日ユトレヒト条約により、スペインハクスブルクは滅亡し、それまでのバルセロナの栄光は 過去のものになってしまう大変な時期に当る。『9月11日。恨みのDIADA』である。また、1767年このカルロス3世、兼カール鎖誓札蹇璽濤陳襪砲茲辰董▲ぅ┘坤慌馗品令が出され、イエズス 会は1814年ローマ法王ピウス酸い了代まで禁止されてしまう。
その間、この教会は材木倉庫、牛小屋などの使われ荒れたい放題であったらしい。

それが、 また再びカタルーニャに産業革命が起き、近代化される19世紀中頃過ぎからイエズズ会がローマ法王からカトリック神学最高峰としての地位をまた与えられ、息を吹き返すことになる。そして、新古典主義風の壮大な建物を増築し現在の姿になっている。

現在のイエズス会総長は上智大学で教鞭を取ったバレンシア出身のスペイン人、ニコラス神父である。
カタルーニャの繁栄とイエズス会との密接な関係、また安土・桃山時代以来の日本との関係、それに加え現在私の住むサン クガットと以外にも深いところで皆繋がってきて、また直ぐ近くでは新しい時代に向け、教育の分野で新たな世界展開を目指していることが分かった。

今回のマンレサのイグナシオ・ロヨラ聖窟教会に訪問で知ることができたのはこの正月の最大の収穫であった。


| u1arc | 建築文化遺産 | 00:00 | comments(1) | - | -
はじめまして(^^)

縁があってここにやってきました。

東方の三賢人の事を調べたくて、検索かけていたら、偶然…ここにやってきました。実は『フランキンセンス』という精油から纏わる伝説を知りたくて…。

『素晴らしい』の一言です。

写真も素晴らしいですが、コメント…共感得ました。

またWebからパワーも頂きました。

ありがとうございました。感謝<(_ _)>

また、来ます(^.^)/~~~
| ゆんじゅ(^^) | 2010/04/25 1:06 AM |










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