バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
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バレンシア大聖堂には本物の聖杯があった。
バレンシア大聖堂には本物の聖杯があるといわれ、以前から行きたいと思っていたがそれが今回の旅行でようやく実現した。

バレンシアには何度も行ったことがあるが、大聖堂は旧市街の中心部の旅行者には分かりにくい所にあり、実際に行ってみてもどこが大聖堂の入口かもはっきりしない。
これは外部の人間の侵入から聖杯の場所を知られないように迷路状にして,旧市街全体が迷宮になっているのではないかと思わせる。



どこが大聖堂のファサードだか分からないし、正面入口はどこであろうか?



左のバロック建築が大聖堂入口であった。
入口の上部には美しい繊細な天使像が彫られている。
この部分は18世紀の初めにドイツの建築家によってバロック様式で増築されたものである。
さすがにイタリアで修行を積んだだけあって、ボロミーニのサンカルロ寺院、ベルニーニのサンタンドレア寺院を思わせる。
スペインバロック建築にはない繊細な仕上がりである。



美しい天使像に囲まれた黒いラインのシンボルは、その形から、征服王ハイメ1世をアラブ勢力の夜襲から守り、バレンシアの守り神になっているコウモリであると思われる。



バロック建築特有の楕円の凹凸の切り替えしのある曲面にコリントの円柱で装飾的に飾り立てている。



右の三角おにぎり型の窓がついたのが聖杯のある礼拝堂。15世紀カタルーニャゴシックの重厚な建物。アルフォンソ浩い聖杯を収める為に造らせたものだ。
こちらの外観は装飾で飾り立ててなく、いたってシンプルである。



入口を入って右側の部屋に大きなキリストの磔の彫刻がある。ステンドグラスの様々な色の光を受け神秘的である。
この部屋を奥に進むと、石積みのリブボールトのゴシック様式の天井にキリストの物語を掘り込んだ装飾的なレリーフ、その中央部ニッチの奥には聖杯がガラスのケースの中に収まっている。





           !!!これが伝説の聖杯!!!

聖杯は直径15cm高さ7cmで黒メノウでできていて、それを金属性の取っ手のある台が付いている。
黒メノウの部分は、ローマ時代、紀元1世紀にエジプトで作られたもので、台のパールなど宝石の付いた部分は10世紀アラブ時代、取っての部分は12〜13世紀に作られたことが分かっている。
2006年7月11日には現在のローマ法王のベネディクト16世がこの聖杯を用いてミサを行っていて、本物の聖杯としてお墨付きを与えているのである。

この聖杯がここに至るまでの経緯を調べてみると、カトリック王国スペインの歴史をそのまま物語っている重要なものであることがわかる。
ローマ皇帝(Valeriano)によってキリスト教が迫害を受け、西暦258年にSixto胸丙廚忙鼎┐討い申祭のロレンソ(Lorenzo)も鉄格子の上で焼かれて殉教した。
聖杯は福音書を書いたマルコのファミリーが所有していて、ローマでキリスト教の布教活動を始めたピエトロへ渡ったことになっていた。その時に聖使徒ピエトロの持っていた最上級のキリストの聖遺物=聖杯(最後の晩餐に使われたもの)を受け取っていて、彼の生まれたスペインのピレネー・アラゴンの村、ウエスカ(huesca)に送ったというのが事の始まりらしい。

その聖杯はアラブ勢力の侵攻のあった9世紀には、ピレネーの山のYebraの洞窟に隠されたり、転々と場所を変え、11世紀には、Jaca近くにあるSan Juan de la pena修道院に移された。
それを1399年にマルティン王がバルセロナの自分の宮殿に運び込み、さらにアルフォンソ5世がアラブ勢力を撃退した後、バルセロナからバレンシア遷都し新しくできた宮殿に持ち込んだということがスペインの公文書に書かれている。
この時期シシリア、ナポリの王も兼ねていてスペインが地中海を制圧していたので、イタリアルネサンス文化の繁栄を謳歌していた。

『聖杯(Santo Caliz)』はスペイン中世の新しいキリスト教の聖都建設にはなくてはならないお宝だったのである。

 13世紀ハイメ1世征服王がメスキータの建っていた所で、現在のカテドラル後陣にある礼拝堂には最初にミサを行ったという。その名も、サン・ジョルディ礼拝堂。以前にも書いたが、ハイメ1世と白馬に乗ったサン・ジョルディはレコンキスタの守護神としてダブルイメージされている。



サン・ジョルディ礼拝所にかかっている絵。白馬に跨っているのがサン・ジョルディ=ハイメ1世。

カテドラル内にある模型によって、聖杯によってカテドラルの建物がレ-インタープレットをして再生・進化してきたことが解る。



13世紀、シトー派、シスターズトライアングル、サンタ・クレウス修道院のプレ・ゴシック建築様式に近い。中央交差部には8角形塔状のcimborriaが建つ。



15世紀、手前四角い箱の建物がカタルーニャ・ゴシック様式の聖杯礼拝堂。



16、17世紀、スペインルネサンス、バロック様式の入口部分が増築され、鐘楼、聖杯礼拝堂と合体し、内部もスペインルネサンスのイコン装飾で豪華に飾り立てる。



正面入口を入った所から主廊、中央交差部、後陣祭壇部を望む。



中央交差部cimborriaと呼ばれる8角形の光塔。窓の部分はステンドクラスではなく、アラバスター(雪花石膏)が嵌め込まれてある。このおかげで堂内は明るい。8角形は天を表す神秘の幾何学形で、そこから降り注ぐ光は神そのものであるというカトリックの考えによるもの。

これだけ立派なcimborriaは今まで見たことがない。



祭壇部はバロック様式でゴテゴテと飾り立てている。天井には真っ青な空に、たくさんの天使が描かれている。



大天使ミカエルの絵と思われる。



聖人の遺骸が納められた金のパンテオン。
釈迦の骨を収めた仏舎利塔のようである。
宗教と建築デザインは昔から重要なテーマである。



聖人の聖遺骸は古典的な建築デザインでレインタープレットされ飾り立てられて収められ、宝の如く扱われる。



マリアとキリスト像のまわりには金や銀の様々な聖杯が造られてきている。



これはイエズス会第二の創始者といわれるフランシスコ・ボルハの礼拝堂。
バレンシアのGandiaの貴族の出なのであるが、聖杯を守るようにしてその礼拝堂はあった。
やはり、スペインルネサンスはBorja家が鍵を握っている。
正面の絵はゴヤによるグラナダにあるスペイン・ハクスブルグ王家礼拝堂でのボルハを描いたもの。
カルロス1世兼カール5世神聖ローマ皇帝の側近当時、イザベル王妃葬式の様子を描いたもの。

イグナシオ・ヨロラの聖窟教会からバレンシアカテドラルへとまた線が繋がった。

聖杯をスペインにもたらしたといわれるロレンソ(Lorenzo)はローマで鉄格子の上で丸焼きにされ殉教したが、スペインルネサンス建築の宝として格子状のフォルムのデザインでエル エスコリアル、サン ロレンソ寺院として甦った。

『聖杯』=ローマ法王のキリスト教権力と結びつき中世ヨーロッパの歴史が作られ、古代ローマ時代からの歴史を知らずしてスペインの建築史は語れないことを実感する。

| u1arc | 聖杯伝説 | 13:54 | comments(2) | trackbacks(0) | -
だいぶ前の記事へのコメントですみません。
素晴らしい記事,初めて拝見しました。

記事中に,大聖堂の入口の上の「黒いラインのシンボル」はコウモリと思われる,とあります。

しかし,私にはそれはアルファベットのMとAのモノグラムであるように見えます。

バレンシア大聖堂の正式名称は La Iglesia Catedral-Bas&iacute;lica Metropolitana de la Asunci&oacute;n de Nuestra Se&ntilde;ora de Valencia ですからそのMとAか,または,マリアのMと被昇天(Asunsion)のAではないでしょうか。

根拠はありませんので,私の勘違いならすみません。


| 通りすがり | 2016/05/08 1:57 PM |

管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2016/05/08 2:09 PM |










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