バルセロナ建築漫遊記

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続UCANDONO(右近殿)に会いたくて
 

この聖窟の全室部分の改築計画を最初に任されたのがガウディの恩師、ジョアン・マルトレイ(Joan Martorell)である。1896年に描かれた図面が残されているが、窓開口部、ニッチのプロポーションがゴシックで全体がイオニア式の付柱でルネサンス様式の華美な装飾が施されているものである。マルトレイはヴィオレ=ル=デュクの信奉者でネオゴシック様式の実践者であった。そこで後期ルネサンス(バロック)様式で創建されたこの教会と融合するような建築様式でデザインしたように思える。あくまで中世ゴシック様式をベースとしている。
しかし、実現されたのはこのようなルネサンス&アールヌーボーの装飾折衷様式と呼べるような装飾華美なもので、マルティ・コロナス(Marti Coronas)の絵を元に、モザイク、ステンドグラスはバルセロナのマウメジャン兄弟によるものである。1922年に完成している。(写真下)。



この両側の壁上の部分に聖人達のモザイク画が施されているが、UCANDONOは右上の二つ目にいる。



マルトレイの最初の絵にも聖人達の絵が描かれていたので、もしかしたらガウディもUCANDONOの絵を描いていたかもしれない。

ガウディは丁度この頃(1883−1909)マルトレイの助手としてネオゴシック建築様式の実践を学んでいる。バルセロナ建築学校を卒業した年(1878)に書き始められたガウディの建築論『装飾に関する覚書(レウス覚書)』はヴィオレ=ル=デュクによる建築思想による所が多いので、同じデュクの建築思想でネオゴシック様式の教会建築を実践していたマルトレイの助手となるのは当然の成り行きだったように思える。1883年はネオゴシック様式で計画されたビラールの後を継ぎ、ガウディがサグラダファミリアの2代目主任建築家になる年である。

1880年にはモンセラットの黒いマリア様『モレネッタ』が洞窟から発見され一千年祭が行なわれ、その翌年にはローマ法王によりカタルーニャの守護聖人として布告された年に当る。このことがガウディをより教会建築へと向かわせる契機となったに違いない。

19世紀末の聖窟ブームはバルセロナからもほど近いピレネーの山中の『ルルードの洞窟』が1878年に献堂されてから始まったらしい。

それでこの聖イグナシオ聖洞窟教会もネオクラッシック様式の新しい建物(Ignaci omsによる)を増築すると同時に、聖窟部分の改築もマルトレイに任されたものと思われる。






このネオクラシック建築のアーケード部分には、聖洞窟から続く地層の露出部分に上から垂れ下がった鍾乳石の装飾まで造って聖窟を演出している。ガウディのサグラダファミリアの御生誕の門にも同じような鍾乳石の装飾が施されている。



サグラダファミリアの御生誕の門

きっとガウディはマルトレイでの修行時代にこの鍾乳洞のイメージを御生誕の門にも使おうと考えたに違いない。




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