バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
<< 建築史と建築論との間 | main | バイス三兄弟セルフビルドプロジェクト 30           『生きる』喜び=『建築できる』喜び >>
バウハウスの創設は日本文化が深く影響している!?!
先週末、昨夏の約束通り、ドイツからトマスさん夫妻がイースターホリデーでバルセロナに遊びにきてくれた。
そこにはKatura=桂の成長した姿があった。


昨年8月ドイツに帰る前の生後2ヶ月のKatsura.


今回、10ヶ月のKatsura.

美しいプロポーションでたくましく成長している。茶色のスポットが、黒に近い濃いくっきりとしたスポットになり、きれいにバランス良く配置されている。
さすがに、おじいちゃん犬が今年のイギリス、クラフトのドッグショウでダルメシアンチャンピオン(BOB)に選ばれただけのことはある。

Katsura=桂もその血筋をしっかりと継いでいる。

彼等はカールスルーエ郊外の、庭からそのまま森に繋がっている恵まれた環境の中の一軒家で、建築事務所を営みながら暮らしている。奥さんが近所の犬友と毎朝二時間、週末はトマスが散歩に連れて行くという。二人の子供達は既に独立しているので、Katsuraが来て、楽しく充実した日々を送っていると話していた。

その森はスイスまで繋がっている深い森らしく、Katsuraは救助犬としての訓練をしているとのことである。とても学習能力も素晴らしい犬だと褒められていて、救助犬としての活躍も期待されている。

Katsu,Katsu=カツととても可愛がってくれていて、良い飼主にめぐり会うことができて私たちとしてもうれしい。

トマスと英語で話していたら、彼はカールスルーエ大学出身の建築家で、ワイゼンホフジードルングのあるシュツットガルトにも近いらしい。この地は、bauhausの前身であるドイツ工作連盟(German Werkbund)にも関係が深いらしく、33年前、学生時代にヨーロッパ建築見学ツアーで訪れたことを言ったら驚いていた。彼は時計が趣味でコレクターらしいが、彼の腕時計はバウハウスの建築家がデザインしたものだと教えてくれた。彼のは〇=丸で奥さんのは◇=四角のペアウォッチで、いかにもバウハウスらしい野太い合理的なデザインである。

しかし、いくら環境の良い場所であっても、50キロ程の所には、ドルトムントの原発があり、今回の福島原発のニュースが毎日のようにドイツでも報道されているのでとても心配している。『FUKUSHIMA』は世界中が注目している大事件なのである。
ドイツ人と犬が縁で建築の話ができるとは、良い犬を持つことがヨーロッパでは文化となり、各国の国際交流になってていることを実感する。

これを機会にバウハウスについて少し調べてみる。
すると興味深い事実が発見できた。

バウハウスの前身であるドイツ工作連盟は今までグロビウスが創立したものだと思っていたのが、実はムテジウス(Muthesius1861-1927)によるところが大きいということが解った。
ムテジウスはプロシア(旧ドイツ)の大学で建築を学んだ後、1880年後半にはエンデ&ベックマンの計画した霞ヶ関の旧法務庁舎の赤レンガ建築の建築技師として3年間日本に滞在している。ちょうど伊東忠太が大学生(卒論『建築哲学』は1892年)の頃かと思われる。

その後、在ロンドンのドイツ大使館付の外交官として1902年まで6年間イギリスの住宅の研究をする。その頃にモリス、ラスキンのアーツ&クラフト運動の影響をかなり受けたと思われるが、当時ヨーロッパ大陸で流行していた曲線過多のアールヌーボーは余り好きではなかったらしく、ヴォイジーやグラスゴースクールのマッキントッシュのように直線で構成されているスッキリとした建築デザインに興味があったようである。特にデザイン的に洗練されたマッキントッシュのWillow Tearooms=クライストン喫茶店が好みだったらしい。




98年撮影 グラスゴーWillow Tearooms

そしてドイツに帰国し、これからの建築は手工業のクラフトマンシップから工業デザインの大量生産の規格化が重要であると考え、ドイツ工作連盟のチェアマンとして1910年から1916年務める。
1914年のケルンにおける総会では、芸術家の個人主義を尊重するヴァン・デ・ヴェルデとの規格化推進のムテジウスとの対立が有名な歴史的エピソードになっている。
ヴァン・デ・ヴェルデはベルギー、アントワープ出身の画家、インテリアデザイナーで、パリではBingの日本風アールヌーボーの内装デザインを手がけたことでも有名で、日本文化の造詣も深かったと思われる。また、1908年にはニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」のアールヌーボーのブックカバーデザインでも知られている。

この日本の伝統芸術文化に造詣の深かったこの二人の建築家がバウハウス創立期に、今後の近代建築の方向を決める論戦を戦わせたことは、近代建築史上、重要な出来事であったのではないかと思う。

しかし、ケルンの博覧会では、工業製品であるガラスブロックを用いたブルーノ・タウトのガラスの家があまりにも有名であるが、バウハウスの父とも言われるグロビウスのモデル工場は、「未来派はムテジウスの考え側にあり、ヴェン・デ・ヴェルデ側にないことを証明した。」とペブスナーの『モダン・デザインの展開』にある。

ここで近代建築家は規格化へ向かい、アーティストとの明確な区別がされたのである。

第一次世界大戦が終わり、CIAMが結成された次の1926年にワイゼンホフジードルング住宅展がドイツ工作連盟によって組織された。その時の組織委員長がミースで、コルビュジェ、タウト、シャーロウン、へーリング、ベーレンス、グロビウス、アウト、デッカー等、当時のヨーロッパの指導的建築家たちによりモデルハウジングが建てられた。

そして『モダン建築=Modern  Architectureの原点』とでも呼べる聖地になったのである。

今年一月、バウハウス大学で展覧会と講演をし、この秋、ここシュツットガルトで石山修武展が開催されるとのことであるが、日本人の建築家によるポスト『モダン建築=Architecture』と呼べるような、『FUKUSHIMA』後のこれからの新しい建築理念のモデル提案を石山さんに期待する。

ガンバレ 日本!
!Animo Osamu Ishiyama!

| u1arc | 建築史 | 01:44 | comments(0) | trackbacks(0) | -









http://blog.u1architects.com/trackback/1088723
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>

このページの先頭へ