バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
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3.11震災後の一時帰国 『極楽浄土の庭』


バルセロナも朝夕冷え込んできて、今年の夏のバカンスも思い出として記憶されて行く。

この夏は今までとはまったく違うものになった。
日本へ一時帰国とピレネーへロマネスク教会を訪ねて2000キロの旅とモデルニズモ建築の華”La ROTONDA”の保存を求めた街頭デモなど行動的な夏であった。

日本への一時帰国では被災された人びとへの冥福を祈る旅となった。
そして、前回6月25日のブログに、「今度一時帰国した際には、石山さんお薦めの大屋根が『日本一の茅葺屋根』で山のようと言われる近くの正法寺にも寄って見たい。」と書いたように、まず第一に訪れたのが、みちのく水沢のお寺、正法寺であった。
この写真にあるように、行った時は蓮の華が咲き始めた頃で、蓮池の向こう側には本当に山のような茅葺屋根のお堂が聳え立っていた。
極楽浄土の世界とはこのようなことをいうのかと想うような祈りの場が広がっていた。
本堂の入口に入ると自然と手を合わし、般若波羅蜜多心経を唱えていた。
初盆を数日前にして被災された人びとへの冥福を祈ることができ、3.11以降自分の中に感じていた重荷を少し下ろすことができた気がした。

受付から本堂内へ行く回廊で住職さんらしい方とすれ違い、「良い声でお経をあげてられていたのはあなたですか。修行の方と思いました。」と言われ、「おそれながら参拝させていただきます。」と恐縮したのを思い出す。

前日の石山さんのオルガナイズした世田谷式生活学校では、難波さんと写真家で淡路の瓦師、山田脩二さんの講演があったので聞きに行った。難波さんとは、友人の来馬君が当時担当していた、銀座のオフィスビルの内見会以来26年ぶりの再会であった。難波さんは小津映画での家族像と住空間に関する話と自分の作品『箱の家シリーズ』についての話された。難波さんの合理主義的な住空間と小津映画の濃密な昭和30年代の住空間の映像とがあまりにかけ離れていると思えたので、講演後の質問時間にその辺とn+dkとの関係についても聞いてみた。
現在の住宅単位、規模を言う時に一般的に使われている、部屋数n+LDKでは捉えきれない住空間を『箱の家シリーズ』で信念を持って展開し、200以上もの作品を生み出し続けていることが理解できた。
また、講演後の飲み会では、学生闘争激しかった当時、n+dkの生みの親とされている建築計画学の権威、今は亡き鈴木成文さん(元神戸芸工大学長)へのヘッドロックで決めたことが難波さんの『箱の家シリーズ』の原点であることが判り、なるほどと納得させられた。
あの時代の熱血建築学生パワーが、住み手に愛される現在の『箱形ロボット住宅』のクリエーターである難波さんを生み出したのだ。

飲み会後、別れの挨拶の時に「明日、気仙沼へ行き、正法寺にも寄ろうと思っています。」と石山さんに告げると、「新しく建て替えられちゃって、前の(山のような)すごい屋根ではでくなっちゃたけどね。」と言われた。

2000年から2006年にかけて本堂の大改修を行ったらしい。
建物全体をジャッキによって1.5mほど上げ基礎石の補修と腐った柱の根元部分を補修。その後、屋根、軒先を解体し、順次補修工事、組み直し工事を行い、最後に屋根の茅を葺くという大工事であった。当初は4年10ヶ月10億円の予算が、7年かかって22億7000万円になった。
今回の地震でも倒れなかったのは、この大改築工事のおかげである。秘密は本堂裏のものすごい重量鉄骨構造で本堂全体を支えた耐震補強工事にあった。
さすが、ここ水沢は小沢さんの地元だけのことはある。



なぜ、こんな巨大なお寺が、みちのくの山の中に建てられたのかその由来を調べてみる。
1348年東北地方初の曹洞宗の寺院として建てられた。曹洞宗の本山は福井の永平寺の禅寺で、川崎の総持寺、の同格として第3の本山として建てられたらしい。当時は1200もの末寺を持つほどの大寺院だったそうな。それが何度もの火災に合い、江戸時代には伊達藩の庇護を受けたものの本山の格を失い、現在は総持寺の末寺となっているとのこと。
そういえば、実家の東京の菩提寺も曹洞宗のお寺なので縁がある。
お江の溺愛した国松が切腹をさせられた高崎城の書院を移築してある先祖の菩提寺の長松寺も曹洞宗であった。
一昨日亡くなったアップルの創業者ジョブス氏も、私と同じ年で、このドラスティクな時代、時間を生き、曹洞禅を学んでいたという。
iPhone, twitterなどなど究極のコミュニケーションの道具を作り出してきた人も、一人で瞑想する時間が必要だったらしい。



正法寺 山門

本堂は江戸後期に伊達藩により再建され、入母屋、茅葺き、正面約35m、側面21m、茅葺きの高さ26m、勾配49度面積720坪の日本一の茅葺き屋根を誇るとある。





今回の震災では被害の少なかった石山さん設計のリアスアーク美術館
屋上に立つ2つの薄ピンクの塔が震災後の気仙沼の街を見守っていた。
向こうの山並みは、現在石山さんによって計画が進められている唐桑半島。



美術館入口、アプローチ斜路の部分。
右にある、茶色の建物の建っている街のオブジェらしきものがグチャグチャに倒壊している。
まるで今回の3.11震災を象徴しているかの様で、これもまた今の芸術作品として存在している。

今、この作品のテーマが浮かんできた。
『3.11震災後の極楽浄土の庭』
とするとグチャグチャに倒壊していたと思ったオブジェも21世紀の新たな庭の石組みに見えてくるのであるから不思議なものである。

作意を超えた自然の力は偉大であるということを実感する。


| u1arc | 建築文化遺産 | 08:02 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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