バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
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稲垣史学の地平に期待するもの

このところバルセロナも2ヶ月ぶりにまとまった雨が降り、ようやく秋らしくなってきた。

それにしても3.11以降、最近ではトルコの大地震、タイの大洪水、アメリカ東海岸の季節外れの大雪など世界的な異常気象は続く。

ヨーロッパではギリシアから始まった経済危機、ユーロ安。『砂漠のライオン』の異名を持つ42年間続いた独裁者、リビアのカダフィ大佐も捕らえられ、無残な死をとげた。
こちらの夕食時のニュースでは、腐って青黒くなっている顔が生々しく放映された。

30年前、まだ院生だった頃、黒川紀章建築事務所でリビアのサリールというサハラ砂漠に建つニュータウンのビックプロジェクトに加わった。私は今社長の亀井さんの下で半円形プランで、セットバックしてからハングオーバーするというホテルを担当させてもらっていた。実施図面を纏めている最中にリビア側から地下防空壕を作れという指示が来て、急遽、設計変更でたいへんだったことを思い出した。
設計を通じ、間接的にもカダフィ政権と関わっていたことになる。


今年も残すところ後2ヶ月であるが、本当に激動の2011年である。


建築史学、雑誌第57号が日本から届いた。
この号には4月に行われた記念シンポジウム「稲垣史学の地平」の記録が掲載されている。

4月23日の私のブログ『建築史と建築論との間』では、

『鈴木博之、藤森照信両氏には
「この状況下での日本建築史の貢献は、日本の伝統的建築をどのようにして、普遍性のなかの独自性として位置づけるということではないであろうか。」
という師、稲垣が30年以上前にすでに望んでいた、今後の建築史学の展望を期待したい。』
とあるように、両氏のバトルトークに期待していた。

ところが、今回この記録を読んでがっかりさせられた。

観客としては、正統派鈴木が、悪役を演じた藤森にまんまと場外に誘い出されて、引き分けに持ち込まれてしまったという感じで何かスッキリしない。

コンドル、辰野金吾と日本の近代建築は下手な建築家が創ってきたというところまで言うのであれば、そのことを普遍性の中の独自性として自分の博士論文に位置づけてほしかった。それができていたら、稲垣史学の延長線上の素晴らしい日本近代通史が展開できていたのではないかと思う。

本当に残念なことである。

しかし、このシンポジウムの最後のほうで、土居義岳さんが「つまり、通史というものはおそらく、歴史観であるであると同時に、特に建築観でなければいけないということです。つまり、『メタ建築』とも呼べるかもしれない普遍的なものが、そこにはどうしても必要になってくる、そうでないと建築史の通史は書けないだろう、と僕自身思っているのです。」と力強い稲垣史学をついで行こうという表明があった。

この表明に共感し支持する。


| u1arc | 建築史 | 16:12 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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