バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
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昨日9月18日は『パリからバルセロナへ』到着26年目の記念日
昨日9月18日は私たちのバルセロナ到着記念日である。

26年前、パリでルノー5のかなり走り込んだ中古車を15万円ほどで買い、一般国道をリモージュ、カルカソンヌと2日かけてひたすら南下し、ピレネーを超えてバルセロナまでの1200キロの道のりを、当時8ヶ月の身重の妻と一緒に辿り着いたことを今でも鮮明に思い出す。
(筑波万博での国連館爆破解体を終えて、バルセロナまでのエピソードは2004年5月の建築雑誌『新建築』STAND POINTというコラムにも掲載された。)

そして夕方近くにバルセロナに着き、港近くのホテルの前に車をとめて夕食から戻ってきたら、車の中の荷物はすべて盗られていた・・・

到着初日待っていたのは厳しいバルセロナの洗礼であった。

あれから26年。いろいろなことがあったが、このバルセロナで建築家としてやっていられるのは、ガウディが生涯追い求めていたような奥の深いarquitectura=西欧建築への想いと、バルセロナの街の恵まれた環境のせいであろうかと思う。


世界中のメディアにも9月11日のカタルーニャの祭日Diadaでの150万人デモが報道されているように、バルセロナではindependencia=独立気運が高まっている。

今までは自分はカタラン人でないからという理由でこの式典までは実際に見たことはなかったが、このところのスペイン経済危機でカタルーニャの民族意識が高まっているのを感じ、今年はバルセロナの街にくりだし市民と共にこのDiadaを体験してみることにした。



メトロのarc de triomf=凱旋門駅を上がると人が続々と集まってきている。ESTELADAといわれるカタルーニャの独立国旗が巨大なレンガ造の凱旋門の入口いっぱいにはためいている。その下では当時の衣装を着た軍隊が銃を持って整列し、オーストリアの宮廷風の指揮官が命令を下しているようなテアトロをしている。




どうもここが起点となり式典が始まったらしい。
このムデハール様式のレンガ造の凱旋門は1888年、バルセロナ第1回目の万博の時に造られたものだ。今はシウダレラ公園となっていて白ゴリラのいた動物園としても有名であったが、1714年の継承戦争の時は、ここの城壁がフェリペ5世スペイン国軍に破られ、バルセロナの街が攻め込まれ占領された因縁の所である。占領された後にはシウダレラという外城がバルセロナの街に幾何学的な寄生虫の如く取り付いていた。それを19世紀中頃の産業革命で地方から人口が流入し、カタルーニャ復興運動(レナシェンサ)の高まりと共に、外側の城塞を取り壊すバルセロナ拡張計画=セルダのエンサンチェプランで整備された。

このレンガ造の凱旋門も、REPUBLIC=共和国の象徴であるパリの凱旋門に倣って、スペインアラゴン地方によく見られるのムデハール様式で創られのではないかとふと思い付いた。
多分この門には当時のアラゴン・カタルーニャ共和国の想いが込められたものであったのだ。

よく見てみると、両脇に2本ずつ4本の付柱が上まで通っている。その上には王冠がそれぞれ付いている!
これは正しくアラゴン・カタルーニャ王国の紋章で、それぞれの柱はアラゴン(サラゴサ)、カタルーニャ(バルセロナ)、バレンシア(バレンシア)、バレアレス(パルマ デ マヨルカ)の4つの都市国家を表したものだ。



この夏のバカンスでは26年ぶりにパリに1週間ほど滞在し歩き回った。その時に撮ったパリのエトワール広場の凱旋門。

ここから星型放射状に12本のAvenue=並木のある大通りが拡がる。そのうちの1本がシャンゼリゼー通りで、ルーブル宮正面ファサードの中心軸となっており、現在はルーブル博物館の入口のガラスのピラミッドを原点としてルーブル宮入口に建つ古代ローマのセプティミウス・セルウェス凱旋門を模して造られた第1のカルーゼル凱旋門からこの第2のエトワール凱旋門のアーチを通過し、デフォンスの第3の凱旋門と言われるLa GRANDE ARCHEまで延びている。



ルーブル宮正面ファサードの中心軸と現在のルーブル博物館の入口のガラスのピラミッド。



古代ローマのセプティミウス・セルウェス凱旋門を模して造られた第1のカルーゼル凱旋門。

ナポレオンによる古代ローマーーー>共和国ーーー>ミッテラン20世紀大パリ近代化国家を凱旋門でシンボライズするパリの一番重要な歴史都市軸となっている。

今回の旅行では世界の観光地『花のパリ』という以上に、18世紀末に王政から市民革命を経てREPUBLIC=共和国を最初に成し遂げたフランスとその都市計画とモニュメント建築を中心に見て回り、近代国家を生み出した共和制の重要性を確認できたことが収穫であった。

古代ローマのティトゥス帝の単一アーチ凱旋門をベースにして50m近くの高さまでそのまま拡大し、フランス市民革命後に共和国のシンボルとして造ったものである。マッス=ボリュームのプロポーションは同じでもオーダー柱、装飾のないのっぺらぼーの表面にレリーフ彫刻を施したものなのでヌボーとデカイ感じがして建築尺度的には締まりないと思う。

ルーブル博物館のM.I.Pei設計のガラスのピラミッドから南北軸=子午線を降ろしてみると、それがダヴィンチ・コードで有名になった丁度1672年にクロード・ペローによるパリ天文台を通るローズラインとなっていることが分かった。
これがルーブル博物館ニケの彫像の近くの床に打ち込まれているのを見つけたARAGOの記念メダジョン。



このローズラインはバルセロナまで繋がっていく。それを実際に測量したのがアラゴン・カタルーニャ貴族で南仏のペルピニアン出身の天文学者で19世紀の初めにダンケルク、パリ、バルセロナの子午線上を実測して回ったのがフランソワ・アラゴである。1830年パリ天文台長になりドームの観測所を屋上に設置する。また、共和国政府時代にはフランス歴代25代の大統領にもなった。



パリ天文台。クロード・ペロー(1667−72)このファサードの中心軸がパリ子午線=ローズラインとなっている。左屋上にあるドームはアラゴにより1830年に創られた。

この時にパリーーー>バルセロナのRepblic=共和主義はローズライン上に引かれていた。

話はパリの19世紀の共和国時代まで行ってしまったが、バルセロナに戻そう。



1714年継承戦争で命を落としたDiadaのシンボルラファエル・カサノバの像に向かって行進する兵隊達。いでたちからして1711年に神聖ローマ皇帝になったカール6世率いるオーストリア軍のようだ。



カサノバ像の前でカタルーニャ伝統の人間ピラミッド=カステジェスを披露している。



手を上げグルッと一回りして参ったカタルーニャの市民に挨拶。



黄色地に赤の4本線のカタルーニャの横断幕と花束を持って続々と市民がやってくる。



カサノバ像の前に置かれた花で飾られたたくさんのカタルーニャの紋章。午前11時半近く。
これから午後にかけてもカタルーニャ中から参列者が続く。





カタルーニャ独立の旗を振る若者。老若男女世代に分け隔てなくどんどんと人が集まってくる。
午後にかけても集まってくる人は途絶えることなく、カタルーニャ広場を中心として、通りは身動き取れないほどに膨れ上がった。

この日集まった人たちは150万人を超えたという地元警察の発表であった。
独立!独立!と過激に騒ぐのではなく、カタラン文化を共有する楽しいお祭り気分の人々であった。

スペイン経済危機で9月から付加価値税がさらに21%にも上がり、それを全てマドリッドの中央政府に持っていかれてしまうというカタラン人の抗議のマニフェストのように見えた。

これからカタルーニャは共和国独立の方向へストレートに行かないと思うが、もし、このまま中央政府が頼りなくEU離脱の危機が来たら、独立してEUに残る道を取るに違いない。

| u1arc | バルセロナの街 | 13:30 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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