バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
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『ヴィオレ=ル=デュックからコルビュジェへ』          フランス近代・コンテンポラリー建築の文化遺産化を目指すシャイヨ宮建築文化遺産博物館(1)
先週の日曜日バルセロナではオープンハウスがあり、コルビュジェの一番弟子セルトによるスペイン共和国パヴィリオン(Pavello de la Republica)をようやく見ることができた。



この建物は1937年、スペインが当時内戦状態で第二共和国時代の混乱の中、パリ万博の為に建てられたパヴィリオンである。共和国政府がフランコ政権の攻撃に合い、マドリッド、バレンシアと転々とし、この年にバルセロナに移転している。4月にはヒトラーがバスク地方のゲルニカ村を爆撃し、その様子をピカソがペンキで短期間で描き上げ、あの『ゲルニカ』の絵を展示したことで有名だ。

この『共和国パヴィリオン』はカタルーニャの自由と独立の意志を表明するものとして、92年バルセロナオリンピックに合わせ、国際記者村近くのエブロン地区に再建築されたものである。

まるで飾り気のない工場建築のようなファサードで、これが万博パヴィリオンとは思えないような建築である。



グランドフロアは鉄骨のピロティ柱で支えられ、この斜め格子の吊門扉を開けると舞台のあるパティオと一体となるフリースペースとなる。

入った右の壁にはいきなりピカソの『ゲルニカ』がある。
当時このようなに外壁一面ににペンキで描かれた落書きの様であった。
それが現在では人類の遺産としてマドリッドのレイナ・ソフィア美術館に大切に保管されている。



ゲルニカの絵を鑑賞できるようにというピカソの指示を受け、工事中に中央にあった柱を取り除く設計変更したらしい。



ピロティを抜けると奥にはパティオがある。この部分が観客席部分で、ワイヤーが張られているのは日除け天幕の為のもの。グランドフロアーレベルはオープンフリ−になっており、イベントに合わせフレキシブルに使えるようになっている。



基壇の薄茶色の石積み、ゲルニカを展示してある赤く塗られた独立壁。アルマグロ=牛の血色に塗られた鉄骨フレーム。その壁はグレーの波形石綿板。右端は白く塗られたRCのマッスに4つの円形の排気口のある機械室。それを繋ぐ黒の鉄格子の嵌った両端の2つの開口部のある白壁。
それにバルセロナの真っ青な空。

   !!!まるでキュービズムの絵を見ている様!!!

地中海の青空を背景にした幾何学的構成が美しい。
これぞが合致した理想の建築
バルセロナにも程近い南仏のセトで生れたポール・ヴァレリーが『エウパリノスまたは建築家(森田慶一建築論内 訳)』で書かれているいわゆる『歌う建築』である。

安価な工業素材を用いた工場のような機能本位の合理的モダン建築も設計次第で芸術作品になりうることを示している。
この建築理念は当時グロビウスが校長をしていたバウハウスの近代建築の理念でもある。

石山さんの名作『幻庵』もこのラインの延長上にあると思う。



真っ青な空の下、遠くバルセロナの街と地中海の瑠璃色の水平線を望む。



このスペイン共和国パヴィリオンのあった1937年のパリ万博が開催された場所は、エッフェル塔の軸線上にあり、現在は建築文化遺産博物館になっているシャイヨ宮であることが判った。



パリとバルセロナは、ローズラインでREPUBLIC=共和国が一直線で繋がっていたのだ。、



シャイヨ宮建築文化遺産博物館入口。
1878年に開かれた3回目のパリ万博の時に、ナポレオン軍のスペイン、カディスでの勝利を記念して、イスラム・ビザンチン様式で建てられたトロカデロ宮の中央劇場部分を取り壊し、左右の両翼=ウイングの基礎の上に建てられたギリシア・ローマ古典風モダン建築。

神殿を感じさせる人間の寸法を超えた巨大な列柱、
入口の構成とスケール。1937年当時のファシズム建築に通じる建築デザインボキャブラリーである。若き日、建築家を夢見ていたヒットラーの右腕となり、ナチスの建築家として有名なアルベルト・シュペアー設計のナチスドイツパヴィリオンは、ここからエッフェル塔を望む軸線上中央にソヴィエト共産党パヴィリオンに競い合うように向かい合って建てられた。

第三帝国をシンボライズしたと思われる3本の高く聳える柱で支えられた台座には、ナチスのシンボルの巨大な鷲が乗っかっていて、共産主義をシンボライズしたソビエト館を見下ろし睨みをきかせていた。

両パヴィリオンの『プロパガンダする建築』デザインはこの万博で金賞を受賞している。

3年後の1940年、念願のパリに侵攻したしたヒットラーは、シュペアーと共にエッフェル塔を背景にここで撮った写真が残されている。

 

シャイヨ宮建築文化遺産博物館入口をまず最初に出迎えてくれるのが、このMoissacのロマネスク教会の素朴な彫刻、レリーフで埋まっているアーキヴォルト=飾り迫縁の入口。

12,13世紀ロマネスク、ゴシックの中世の建築の修復を多く手がけたヴィオレ=ル=デュックの石膏レプリカコレクションを基にして、最初にフランス歴史的建造物博物館として1878年後にトロカデロ宮に創られたものである。

その後、1937年にシャイヨ宮に改築された時にもデュックのこれらの中世の建築文化遺産を引き継いだ。

その時にシャイヨ宮の建築装飾デザインはヴァレリーが関わったという記述がある。
ヴァレリーは建築芸術に関して若い頃から情熱を持っていたことが知られている。
19歳の時に書かれた『建築家に関する逆説』(1891年)ではその3年前からヴィオレ=ル=デュックの著作『建築事典』『建築講話』を読み込んで丹念にメモを取ってデュックの建築論に心酔していたようである。

そして新しい時代の建築芸術を待ち望んでいた。
それがこのシャイヨ宮の工業製品の装飾鉄骨の梁を渡して採光の為のガラスの天窓の屋根を架けるという建築の内装装飾デザインにも影響を与えていたのではないかと思う。

デュックによるデカルトの方法論の建築考古学への応用に影響を受け、近代フランスの知識人=ヴァレリーを生み出すことになったと思われる。
近代の新しい建築様式を生み出す為には、フランス中世の建築のデカルトの方法論による徹底した分析とその時代に合った綜合が必要と考えていた。



それで現在は、2階のモダン&コンテンポラリー建築展示階になっているコルビュジェのマルセイユのユニテの住居単位が原寸大で再現されている。





| u1arc | コルビュジェ | 23:29 | comments(1) | trackbacks(0) | -
素敵ですね!建築も食も犬も大好きです。今日は2011年まで拝見したので、続きは後日の楽しみにさせて頂きます^^
| 煮玉子 | 2015/04/08 1:29 AM |










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