バルセロナ建築漫遊記・未来へ

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タウト−ワタリ−磯崎 高崎でのルーツ探しの旅

今回のワタリウムでのブルーノ・タウト展の実行委員長は磯崎新氏である。今回日本に一時帰国するに当たって、自分のルーツ探しをすることも目的の一つであった。
学生時代、建築家への道を行くことを決心させた重要な要因として思いつくのが、この二人の建築家である。磯崎氏によって建設技術だけでない建築デザインの知的好奇心に目覚め、その彼の建築方法論が純粋な形で実現化された群馬県立美術館は、それまで日本にはなかった新しい建築空間を感じさせてくれてワクワクしたものだった。またタウトは、彼の著作である『日本文化史観』や『日本美の再発見』で建築を文化として見る考え方に共鳴し、大学院へ進み建築デザイン理論の道を向かわせる勇気を与えてくれたと思う。そして何よりも、、『アルプス建築』のオリジナルの本の絵の美しさに触れ、その本を所有することになったことが決定的だった。私が現在バルセロナで建築家としてやっているのも、そのきっかけは磯崎氏によるところが大きいと思う。
そして、今回グーグルの検索機能を使うことによって、ますますこの因縁が深まって、タウトが2年3ヶ月も滞在していた高崎へ行く事を決めることになったのである。というのは、高崎と私の祖父の名前を検索したところ、明治39年当時13歳であった祖父の詩が、旧制高崎中学の文集から発見されたのだ!亡父が生前探していて今まで不明だった先祖の寺が長松寺であることが判明し、その寺の過去帳から曾祖父が確かに葬られていたことが分かった。住職によるとこの中学は現在の高崎高校の前身で、このお寺から始まったという。住職にスペインから持ってきた先祖代々の位牌を渡し、お経をあげてもらった。その後お茶菓子を頂いたが、また偶然にもその名前がタウトであった。部屋には、福田赳夫元首相と一緒に写っている住職の写真が額に入れて飾ってあった。福田元首相も同窓とのことであった。タウトのパトロンであった井上房一郎氏もこの学校の出身で、この人が戦後の日本文化を政治的に引っ張って行ったということも分かってきた。達磨寺の洗心亭の横に立っているこのタウトの石碑『ICH LIEBE DIE JAPANICHE KULTURE(私は日本文化を愛する)』のオリジナルの掛軸は、井上氏が後輩にあたる中曽根元首相に贈ったという話もある。そして1974年に群馬県立美術館プロジェクトで、井上氏がタウト、レーモンドの後の第三の建築家、当時43歳であった磯崎氏のパトロンであったという。一級建築士制度を作り、登録第一号と言われる若き日の田中角栄元首相も、氏が経営していた建設会社の元社員で、高崎観音プロジェクトに関わったらしい。曾祖父も左官職人としてこの会社と深い関係があったと父から聞いていたことを思い出した。
なんという歴史のめぐり合わせなのだろう。また、私の高校時代の親友たちの父親は、この学校の卒業生で、その親戚は群馬を代表する画家、山口薫である。そう言えば駿河台画廊を経営していた彼の母は、彫刻家の宮脇愛子さん(磯崎氏の妻)と親しかったらしい。祖父の出ていた学校の文集にこれらの人すべての名前がほぼ見出された。3人の首相と日本の芸術を背負ってきた人たちは高崎で不思議な縁で繋がっている。
それにしても知りたいことを瞬時に検索してしまうグーグル恐るべし!
それで今回、ワタリウムでのタウトをテーマにした磯崎氏の講演へ行くことになった。そしてさらに、ワタリウムの前身であるギャルリーワタリで、恋人時代、うちのが25年程前に働いていたのも何かのめぐり合わせなのだろうか?
| U1 | ブルーノ タウト | 20:51 | comments(0) | trackbacks(1) | -









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タウト 芸術の旅―アルプス建築への道
タウト 芸術の旅―アルプス建築への道
| ロドリゲスインテリーン | 2009/12/21 5:47 PM |
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