バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
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バルセロナのレアル(王様)たちが眠るポブレーの修道院の城塞

これは13〜14世紀に作られたバルセロナの王様たちの墓である。ハイメ一世、フェルナンドカトリック王の先祖が眠っている。祭壇前、両側の柱にアーチ状に作られた珍しいものだ。当時バルセロナはアラゴン=バルセロナ伯爵領で、十字軍運動によって地中海貿易で繁栄していた。13世紀終わりごろにはシシリア島、15世紀の中頃で、までにはイタリア南部ナポリまで占領してしまう。まさにバルセロナの黄金期である。この時期がカタルーニャゴシック期に当たり、立派な建築が多く建てられている。特にポブレーには、当時の王様たちの住居と歴代王の墓もある修道院で、修道院というよりは11m以上の高さで2mの厚さの城壁と塔によって囲われているので、軍事的性格の強い城という感じである。

この立派な城門がレアル(王家の)門と呼ばれ、14世紀に作られたものである。

ところがもう一つ、17世紀後期のスペインバロック期に新たに作られた入口がある。シトー派では通常このような教会から直にアクセス可能な入口は作らないのであるが、二つ目の新しい入口となった。この門のファサードで目を引くのが、バロック特有のツイスティグコラム(ネジネジ柱)である。それとその上に載っているtimpanoと呼ばれる三角形が直角二等辺三角形で、その下のレリーフが同じく大きめの直角二等辺三角形であるのが気になる。
このポプレーのシトー派の修道院は、フランスのロマネスクの純粋建築形態のル・トロネ修道院とは異なり、ロマネスク、ゴシック、バロック期の社会が繁栄している時に増改築を重ね、現在に至っている。各エポックの建築様式により構成されていることが分かる。
15世紀後期、当時一番の繁栄をしていたアラゴン・バルセロナ王のフェルナンドとカスティーリャ王、イザベルがレコンキスタ運動の末、1492年にスペイン統一を果たしたカトリック両王の元へ、コロンブスが資金援助を求めに来たのも納得が行く。そして、コロンブスの新大陸発見のお土産により、さらにスペインは繁栄した。その孫のカルロス一世が神聖ローマ帝国皇帝となり、スペイン、ハクスブルグ家の第一代目で、ルネッサンス以降主役としてヨーロッパのの歴史を作って行ったこと、そしてカトリックの衰退がそのままスペインの衰退に直結して現在に至っていることを歴史が物語っている。ハクスブルグ家はウィーンとバルセロナなしでは語れないことがようやく分かってきた。バルセロナとウィーンの街の共通性があると感じられるのもその辺から来ているのだと納得できた。
スペインが統一されると王様(レアル)のいる新しい首都はイベリア半島中心部に位置するマドリッドとなり、バルセロナは辺境国、さらには地方都市にすぎなくなる。しかし、このそうそうたるバルセロナの歴史の誇りが、レアルマドリッド対バルサのサッカーの試合の熱狂へと繋がっているのである。
今年はレアルが勝ち、バルセロナ市民はたいへん悔しい思いをしている。
| u1arc | 世界文化遺産 | 03:28 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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