先日バイス三兄弟セルフビルドプロジェクトの現場に行った帰り道、前から気になっていたアラゴン=バルセロナの王たちの聖棺のあるサンテス・クレウスの修道院にもう一度寄ってみた。上の三枚の写真はその時に撮ったもの。もちろん聖杯に関する新たな手がかりを捜す為だ。当時の歴史を調べて行けば行くほど謎が深まって来た。
映画『ダビンチコード』の元本とされる『レンヌ=ル=シャトーの謎(Holy Blood, Holy Grail)』は1982年にイギリスで出版され、BBCのドキュメンタリー番組となり,当時聖杯ブームを巻き起こしその宝探しに大勢の人々が押し寄せたらしい。南フランスのレンヌ=ル=シャトーと言うピレネーの小さな村が舞台となっているが、実は12,13世紀当時はアラゴン=バルセロナ伯爵領であったのだ。聖杯のことをフランス語で『graal』というが、San Graal>Sangreal>Sang Realとなり、これをスペイン語にすると『Sangre Real』で同じく『サングレ レアル(王家の血脈)』となり、ダビンチコードの根拠としている所となる。スペイン料理に欠かせない飲み物サングリアも実は、『Sangreal』から来ている。
(サングリアの作り方:http://www.bosquedesantcugat.com/ryouri/index.htm参照)
ワインはキリストにとっては血になるものなのである。キリストが磔にあって、槍を胸下から突き上げられた時に飛び散った血を受け取ったのがその杯で、それをマグラダのマリアが持って当時の南仏のプロバンス地方に逃れ、それがマドレーヌ伝説となったらしい。
実はマグラダのマリアがキリストの子を懐妊していて、南仏で産み、それが『聖杯=キリストの血脈』で現在もその血統を秘密裏に継いでいると物語仕立てにしたのがダビンチコードである。当時、南仏のプロバンスもアラゴン=バルセロナ領であったことを考えると、聖杯はフランスではなく、スペイン側にあると考えるのが妥当であると思われる。それに一番近いところにいたのが、シトー派の当時の総長ベルナールからこのサンテス・クレウス建設許可を得たアラゴン=バルセロナ伯爵領の王であったベレンゲール4世が鍵を握っているように思われてきた。実際にその三代後の征服王ハイメ一世がアラブ勢力をバレンシアから追い出すことに成功しているが、そのバレンシアの大聖堂には暗赤色のメノウで出来た聖杯とされているものが保管されているらしい。写真の赤色の大理石でできた聖棺は、ハイメ一世の子ペドロ三世のもので、この王に仕えたシチリア出身の大提督ロヘール・デ・ラウリアがエジプト,アレクサンドリアから持ってきた古代エジプト王の物とされている。
建築物とさまざまな文献を手掛かりに想像を膨らませて行くことにより、また新しい聖杯伝説に近づける。それにしてもヨーロッパの歴史はキリスト抜きには語れないことを実感する。