バルセロナ建築漫遊記

バルセロナからの気ままな発信です。
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9月11日は臥薪嘗胆、カタルーニャの祭日『DIADA』

今日11-sepは『DIADA』といって、スペインでもバルセロナのあるカタルーニャ地方だけの祭日である。この日はカタルーニャにとって恨みの祭日となる。スペインの国旗ではなく、写真のように黄色地に赤の四本線の入ったカタルーニャ州旗を家のバルコニーに掲げる。この旗はカタルーニャの紋章から来ている。この赤の四本線は昔アラブ勢力とバルセロナでの戦いで深い傷を負った王が、その血を4本指に付け、黄金の盾に上から下へとひいて死んで行った伝説を13世紀にハイメ1世が正式にカタルーニャの紋章としたことに由来していると言われている。
 今から300年ほど前、スペイン繁栄を築いたスペイン・ハクスブルク家がカルロス2世に跡継ぎがなく、スペイン継承戦争が起こった。
アラゴン・カタルーニャ王の血統であるカルロス1世、神聖ローマ帝国カール5世以来200年続いたスペイン・ハクスブルグ家である。
この戦争で、当時マドリッドを首都としたスペイン国に反対したカタルーニャは、その血筋のオーストリア・ハクスブルク家はカール6世がカルロス3世としてスペイン王位継承を主張した。1708年にはカール6世がバルセロナで挙式をしている。フランスは最初はカタルーニャと共にスペインと戦ったが、カール6世を神聖ローマ帝国皇帝とすることを条件にスペインから手を切らせ、ブルボン家からフェリッペ5世を誕生させたのである。当時のヨーロッパのオーストリアとイギリス、オランダの同盟国対フランスのパワーポリティックスが働き、ユトレヒト条約,1714年9月11日のラシュタット条約により,スペイン・ハクスブルク家は滅亡し、バルセロナにとってはフランスにしてやられ、オーストリア・ハクスブルク家から裏切られた恨みの祭日となったのである。以後マドリッドを首都としたスペイン国となり、バルセロナは一地方都市に成り下がってしまい今まで悔しい思いをしている。それでこの9月11日を祭日とし、臥薪嘗胆、再び過去の栄光をもう一度取り戻そうと頑張っているところである。
92年バルセロナオリンピックの年にヨーロッパがEC共同体として一つになったことで,その想いをECの理念に託すことにより、観光、経済力を背景として現在では世界にも注目を集める都市となった。
バルサとレアル・マドリッドとの試合がクラシコといって市民が熱狂するのはこの歴史的背景があることがわかると、バルセロナに住む私としても益々応援に熱が入ってしまうのである。
 
| u1arc | バルセロナの街 | 01:04 | comments(1) | trackbacks(0) | -
そーだったんですね。
今日、それを知らずにカタルーニャ広場を歩いていて、大変な目に会いました。
最初は、サッカーの試合でもあったのか位で歩いていたところ、気がついたら身動きが全く取れなくなり、命がけで興奮した群衆から離脱しました。
おばさんに、睨まれた時は泣きそうになりました。
| ひろし | 2012/09/12 3:03 AM |










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