バルセロナ建築漫遊記

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私の原点−石山修武さんとのセルフビルド 1983松葉邸−




私の建築家としての原点は、1983年石山さん(現早稲田大学教授)のところで行った松葉邸のセルフビルドである。

大学院で建築論(日本近代建築思想史)を学び、当時の閉塞的な日本の建築デザイン界に暗澹たる思いでいた時に、独自のセルフビルドの方法論で幻庵など次々と発表し、新進気鋭の建築家として建築ジャーナリズムを引っ張っていた石山さんにすごいパワーを感じたのである。自分が本当にこれから建築をやって行くのだったら石山さんしかいないという覚悟でダムダン空間工作所の門を叩いた。このプロジェクトは残念ながら未発表に終わってしまっているが,私にとってはその後の私の建築を進む上での重要なプロジェクトとなった。これらの図面、写真はスペインに留学に来る前にポートフォリオとして纏めておいたものである。

プロジェクトは、図面1のように東京の土地付き中古住宅物件の駐車場ポーチ部分(2.7X3.2m)を書斎に増改築するという極小プロジェクトである。
工務店であれば2週間ほどでやってしまうような工事を、実測し図面を起こすことから始めた。アメリカから輸入した2x4工法の材料(2x4インチの角材とコンパネ)を使っての建設だけが決められていた。設計図を書いたが、当然デザインらしいものは最初から出てくるはずもない。それよりも重要なのは自分で建設可能な施工図を書く事であった。建設の経験のない自分が知恵を振り絞って、基礎伏図から軸組図まで書くのである。その書いた図面を基にして自分で建設するのだ。これがセルフビルドということなのだとこの当たり前のことが、ドーンと身をもって感じた。大学出たての建築家を目指す若者が、素人大工+建設工事一式を請負わされたのである。この極小プロジェクトは、セルフビルドでやると巨大プロジェクトであることがその時初めて気が付いたのである。さすが、石山さんは所員の鍛え方が違うと思い知ったのである。
工事が始まり、妻の作った手弁当を持って、新井薬師のアパートから自転車で松葉邸までの30分の道のりを通った。
解体工事を進めていくと、テラスの下に隠れていた梁が湿気で腐っていることが判明。これこそ開けてビックリの改築工事である。最初の計画にはなかった、テラスを撤去し新たなテラスを建設するという難工事が加わった。さすがにここまで来るとやるしかないと根性が据わって来る。そのテラスは20cmの厚さにモルタルにタイル張りというすごい重量のもので、雨水排水口も雨勾配も取っていないという不良建築で、その為にまだ20年も経っていないのに、そのひび割れから雨水が入り、梁を腐らせたことがわかった。(写真2)
クライアントの松葉夫妻もそのコンクリートの撤去作業に参加している。松葉さんは、朝日新聞文化担当の記者で、当時流行のポストモダン建築の評論家として活躍されていた。
2ヶ月半に及ぶ工事となったが、工事期間中石山さんは伊豆長八記念館のプロジェクトが忙しく、一度も見に来てもらえなかったのが今思うと非常に残念なことである。この時の相棒の来馬君とは今でも建築デザインの良き話し相手としての付合いが続いている。彼は難波和彦(現東大教授)さんのところで更に修行し、今は中目黒で建築工房 匠屋を主宰している。
あれから24年の月日が流れたが、この石山さんとの経験があればこそ、自分はスペインで今、建築家のデザイン主導による施主の直営工事、新しい建築家像、アーキテクトビルダーによるバイス三兄弟セルフビルトプロジェクトを現在進めることができるのだと思う。
| u1arc | バイスの三兄弟セルフビルトプロジェクト  | 14:52 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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