バルセロナ建築漫遊記

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エルチェの貴婦人(la dama de elche)が発見された場所




今回のアリカンテのへの旅行で、思いがけず『エルチェの貴婦人』の発見現場を見ることが出来た。本物は15年前、マドリッドの国立考古学博物館で今は亡き母と一緒に見た事が思い出される。スペインがローマの植民地になる前の紀元前4〜5世紀のイベロ人の彫刻で,巨大なヘッドホーンのような不思議な耳飾をしているギリシャ風の美しい女神胸像であった。
何のインフォメーションも持たず、エルチェに行けば何か見られるはずと行き当たりばったりの観光であった。街の中心部に車を止め、観光案内所を見つけ、案内嬢に尋ねる。すると「今日は休日なので博物館は残念ながら閉まってしまっているけど、エルチェの貴婦人の発見された場所は3時まで開いています。そこにはコピーの彫刻が置いてあります。」というインフォメーションをもらう。時計を見ると既に2時を回っていた。急いで車に戻り、街中にある椰子の森の横を抜け、2キロ程南に下がったアルクディア(alcudia)という所まで行く。
もらった観光案内のパンフレットを見ると、エルチェの街は、貴婦人の彫刻でも有名であるが、紀元前2世紀からの椰子園とマリア昇天祭で2001年にユネスコの世界文化遺産になっていることがわかった。とすると、さっき通ってきた立派な椰子の森は世界文化遺産だ。当時のアラブの高度な灌漑技術(写真3)により、現在までにオアシス状の椰子の森が,スペインでは珍しく形成されたらしい。またマリア昇天祭は,いろいろ調べてみると、ハイメ1世がエルチェの街をレコンキスタしたころから続いている祭だと言う。キリスト勢力が敵を打ち破った後、戦勝記念のお祭として市民の間で行っていたものらしい。それを、300年後の16世紀に、正式にカトリックの祭礼、Misteri d'Elxとしてサンタ・マリア教会で執り行われることになったようだ。そう言えば、第二次世界大戦で広島、長崎に原爆を落とされ、日本の国土は焦土と化した。そして8月15日は日本からすると敗戦記念日である。丁度マリア昇天の日に合わせて欧米連合国が決めたのだろう。サンタ・マリア教会はアラブの教会メスキータのあったところで、1265年にハイメ1世にレコンキスタされたとある。ハイメ1世はポブレーからこんな遠くまでアラブ勢力との戦っていたのだと思うと、『征服王』と呼ばれるのももっともであると納得する。それにしても奥深いヨーロッパの歴史の因縁から学ぶものは多い。
しばらくして、エルチェの貴婦人が発掘されという広々とした場所に着く。そこは紀元前5世紀からのイベロ人の村の遺跡で、2世紀頃にローマ人が侵略し、アラブ勢力が侵略してくる8世紀までの遺跡が埋まっている。その中には、イベロ人の寺院、ローマ時代の寺院が並んで発掘されている。住居跡、温泉施設の遺跡もある。その中に、『エルチェの貴婦人』が発見された場所があった。モダンなコンクリートの壁と庇の祠の中に、(レプリカではあるが)地面から胸から顔を出していた!
本物は100年程前にここの農民によって発見され、その後当時のお金で4000フランでフランスのルーブル博物館の所有となり、第二次世界大戦後になってようやくスペインに返還されたという歴史がある。石灰岩に掘り込んだもので、赤、青、金色、白などきらびやかな装飾的な彩色が施されてていたことが後の研究で分かっている。

15年前にマドリッドの考古学博物館にあった、あの美しい『エルチェの貴婦人(la dama de Elche)』の生れた場所に、ついに来ることができたという喜びがあった。


| u1arc | 世界文化遺産 | 12:35 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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