https://www.aij.or.jp/jpn/touron/6gou/foreign02.html
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廃墟の古民家を田園ペンションに再生
アーキテクトビルドの実践
はじめに
私の住むスペインのバルセロナでもイタリアの持続可能でスローライフの影響を受け、市民の間では豊かな自然を求めるアグリツーリズム、エコツーリズムと呼ばれる田園回帰のブームが起きている。
バルセロナの街の中心に住んでいた私の愛犬のブリーダーは、老後は静かで自然豊かなタラゴナの郊外に住みたいと廃墟の古民家付の15ヘクタールの広大な土地を購入した。それでそこを住居兼田園ペンションに改築したいという依頼が私に来た。
その古民家は築500年は経っているだろうと思われる野石積みのカタルーニャでマシアMasiaと呼ばれる大農家屋敷であった。ガウディの生家にも程近いタラゴナ平原にある。その建物の周りは見渡す限り葡萄畑とオリーブ、アーモンドの木が植わっていて、他に家が見当たらないというこのマシアと融合した素晴らしいカタルーニャの田舎の風景が広がっている。この地方のタラゴナはイベリア半島最大のローマ都市があった所で、ここにはローマ時代から変わらない地中海の美しい風景が残っている。
改築前 マシア全体の風景写真
高さ5m、30mX30m程の四方が野石積みの古い壁に囲まれていて、その敷地の北側半分に2階建て一部3階の塔で南半分はパティオになっていてまるで城館の様な建物である。しかし、50年以上も人が住んでいなく空家のまま放置されていたので、屋根は落ち外壁も一部崩れ落ち建物は廃墟化していた。ここを住宅兼田園ペンションにするには、外壁だけ残し内部は全て新しくする大規模な改修工事が予想された。
このようにマシアは歴史的建造物として建築文化的価値のあるものなので、考古学的手法を用いた改修プロジェクトをすることになった。
考古学的改修プロジェクトの作成
改修工事を始めるに当って、まず私が登録しているカタルーニャ建築家協会COACにこのマシアの大規模改修プロジェクトのVISAT確認申請提出をしなければならない。
その為の現況の図面が必要なのだが、当然この廃墟化したマシアの建築図面などない。最初にやったのは実測してこの建物の現況図面を起こす作業をから始めなければならなかった。この築500年の歴史ある野石積の建物はエポックごとに増改築されているのでとても複雑な建築構造をしていた。その結果分かったことは、開口部のアーチ、石の積み方、外壁の壁厚の違いによって、大きく分けて3つの建築様式の違いが認められた。オリジナル部分は、建物中央2つの半円形アーチの開口部のある部分で、石灰岩の岩盤の上にそのまま壁を建ち上げていて、壁厚は1m近くの分厚い外壁である。一階部分は家畜を飼っていたようで天井高2.2mと低い。16世紀のスペインルネサンス期、第1回改修が18世紀バロック期、第2回改修が19世紀近代に行われていることが、起こした現況図面を分析することによって解った。
その現況図面を元にして住居兼田園ペンションの改築計画を立てた。そこで重視したことはなるべく16世紀スペインルネサンスに最初に造られたオリジナルの建築にはなるべく手も加えないように保存することを心掛けた。アーチの開口部がレンガで埋められたところはオリジナルアーチに修復し、屋根はガウディの用いたカタルーニャボールト工法でレンガを用いる。野石積みのファサードに近年モルタルを塗った外壁は全て取り除き、目地は新たにモルタルで補修しオリジナルの野石積みが見えるファサードにする。各エポックの壁構造を見える形で保存する。
歴史的建造物としての保存すべきオリジナルの外壁。壁は厚いところで1m近くある。壁の材料はその場所で採れる石灰岩の不揃いの野石で、それをアルガマサと呼ばれる石灰モルタルで固めながら積み上げていることが解った。さらにアーチ開口部、内部構造壁、サロン内部にある1m角の巨大な石柱は補修して残すことに決また。白アリに食われていて状態の悪かった2階床の梁はとりあえず残し、工事を進めながら様子を見ることにしてとりあえず残すことにした。現在の建築法規に基づき、パッシブなエコ建築システムを構築し建築学的な改修計画を行った。
1.居間の天井高が2.2mしかなかったので、岩盤を1m掘り下げ10?厚の断熱材を敷いて地盤からの熱を遮断し保温性を高めた。
2.夏場暑くて乾燥し、冬は湿気が多くで冷え込むここの自然環境を考えたエコシステム建築を計画した。
3.夏場乾燥し、井戸もないので屋根に降った雨を4つの大きなsisternaという地下貯水槽に貯める雨水の利用が昔からされてきたそのこの地方の農家屋に見られる伝統的なものは修復し、新しく取り入れるようにした。
4.地中海気候で天気が良く乾燥しているので太陽追尾する移動式のソーラーパネルを設置。
5.2x10x3mの大型汚水槽と2x3x3m濾過槽とで有機肥やしを生成する自然循環システムを造った。
6.屋根は60センチ間隔で丸太の梁の間に薄いレンガでカタランボールト屋根を造りその上にスペインの丸瓦を乗せた2重屋根で断熱層を作り夏場の熱い陽射しを防ぐ。
7.窓サツシは木製で目隠し扉付け、ペアガラスを入れて断熱性能を上げる。
8.家の中央にある薪暖炉で3階まで家全体を暖めるようになっている。薪は近くのマツ林でも取れるが、毎年冬の時期に剪定するぶどうの小枝を薪で焼いたパエリャやBBQは香ばしいかほりがして美味しい。
また、田園ペンションにするにはさらに特別にカタルーニャ州政府が出している法律に基づき計画を進めなければならない。
Residencies-Casas de Pages (田舎宿泊施設)に関する法律で田園での宿泊施設の住環境を整えるたに、バルセロナの州都であるカタルーニャは1995年にその為の法律を整備した。
それによると、田舎宿泊施設には3つのカテゴリーがある。
それによると、この建物はカテゴリー1のMasiaに当たる。このマシアに関する様々な法律規則に従って計画を行っていく。
Masia とCasa de pobleは最小3部屋5名、最大で15名までで、その他にもさまざまな技術的規定もある。
例えば、水道水、電気、各部屋には暖房設備完備。必要十分な家具、衛生設備、 宿泊者5名に対し洗面、トイレ、シャワーまたは浴槽。天井高が1.8m以上。浴室の壁は防水仕様。温水、冷水設備完備しており、浴室最小面積2.5?。また、部屋に関しては最小面積6?でシングル10?、ダブル12?、トリブル16?以上と決められている。そして、十分な換気設備があり、ベッドサイズはシングル0.80m、ダブル1.35mナイトテーブル、照明、コンセント、スイッチがあること。天井高は2.25mで、しかし歴史的建造物の場合は特例を認めている。
食堂面積は14?以上、台所は流し台、水道、作業台、冷蔵庫145リットルなど様々な規約があるので、それを一つずつクリアーし計画して行く。工事完了後にInforme Tecnicoという書類を申請し承認されると営業許可が出て、州政府からRCPの標識が与えられてResidencies-Casas de Pages (田舎宿泊施設)としてようやく開業できることになる。
アーキテクトビルドによる施主直営による改修工事
歴史的建造物の改修工事は不確定要素が多いので、工事を進めながらその都度合理的な解決策を考えて行かなければならない。その結果、アーキテクトビルドによる施主参加のセルフビルドによる直営工事が適していると判断した。その理由は、最初の計画の段階では予想できなかった改修工事の問題を施主と相談しながら合理的解決方法を見つけ、フィードバックを繰り返しながら常にフレキシブルに工事を進めて行くことができるからである。時間はかかったが、現場との協働でデザインの質を高めて行くことができた。
実際に施主がここに住み田舎ペンションのオーナーとして将来の夢を持って壁の補修、レンガ積などできる部分は自ら建設に励むのであるので、建設コストを抑えるだけでなく改修建築工事そのものが彼らの生きがいとなり、より良いものを目指しスローで充実した時間を提供してくれるのである。そういった歴史的建造物の改修工事が地元への愛着を生みその土地の建築文化となって行く。
おわりに
この廃墟だった歴史的建造物の古民家を改築することによって、建築工事を進めながらフレキシブルに計画と工事の変更に対応できるアーキテクトビルドという計画建設工法の可能性を感じた。
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16〜17世紀イエズス会士による初めての西欧文化の影響。当時、日本は大名、侍達の戦国時代。ヨーロッパはスペインのカルロス1世、カール?神聖ローマ皇帝の時代からフェリッペ?世のスペイン・ルネサンスの黄金期に当る。
と昨年の11月30日に"Japon : 20siglos de Arquitectura"をテーマにして日本の2000年の建築史についてバルセロナのユネスコで講演を行った。
サブテーマは[ルネサンス(再生)とレインタープレット(再構築)―西方からの日本建築に及ぼせる影響]、スペイン語では[Re-nacimiento y Re-interpretacion :
Influencia del Occidente sobre la arquitectura Japonesa]
今回、高山右近の壁画があることがわかって安土・桃山時代のイエズス会を通じたスペインと日本との交流が思った以上に深かったことが解る。
利休の一番弟子でキリシタン大名であった右近が、当時のスペインハクスブルグ王室のヨーロッパルネサンスの最高の科学技術(印刷、火薬武器、羅針盤航海術等)、文化を導入し、日本で荘厳でかつ華美な安土・桃山文化の華を咲かせたのではないかという仮説が実証できたと思う。右近は当時の鉄砲、大砲を用いていたヨーロッパの築城術にも長けていたようであるが,ラテン語を理解し渡来した印刷物により最新の知識を得ていたに違いない。
ほとんどのキリシタン大名は秀吉の権力で転向した、いわゆる和魂洋才であったのが、右近殿はキリスト教を深く信じる一人の人間として生涯をまっとうしたように思える。利休が茶道を一つの宗教までで高め生涯をまっとうしたように。
この二人は宗教には権力を超える崇高な力があることに到達した人たちである。
これがUCANDONO(右近殿)のいるモザイク壁画
中央右側にいるのがJUSTO UCANDONOと書かれている高山右近殿である。
JUSTOがクリスチャン名で正義を意味するので『正義の人=右近殿』となる。
一番左にいるのはダルタルニャンの三銃士の王様として有名なフランスのルイ13世。
中央左側はカール5世の庶子でレパントの海戦を勝利に導いたドン フアン・デ・アストリア。エル エスコリアルの王室墓地に眠る。
そうそうたるメンバーの中で刀を差し、草履を履き、祈りを捧げている一人の侍。日本人JUSTO UCANDONO『正義の人右近殿』はこのバルセロナ近郊の町マンレサで頑張っている。
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ラスキンはこの美しい湖の眺めの良い場所に立っていたカントリーハウスを修復し、改築をして彼好みの住居にしていたらしい。そして1900年にこの家で亡くなった。ここを芸術家、批評家、思想家達が集まり拠点にして、ラファエル前派、アーツアンドクラフツ、ゴシックリバイバル、ナショナルトラスト運動のイギリス社会芸術思想を支えたとのことである。インドの独立の父、ガンジーも訪れたという記録がある。
近代社会芸術運動の発信地だったのである。
オックスフォード大学の教授でもあったラスキンは1855−9年にオックスフォード博物館の設立に関わり、ピュージン風のゴシックスタイル建築のディーン(Deane)とウッドワード(Woodward)の案が選ばれた。ウエストミンスター寺院のプランを参考に石積みのゴシックスタイルで、、開口部は尖頭アーチでアーチ部分はビザンチン、イスラム風で赤、白の縞状に積んである。クロイスター中庭回廊を建物中央部にとり、そこを当時の建築新素材、鉄の柱と梁、ガラス屋根で覆った大空間とし、博物館の展示スペースとする。柱頭にもアカンサスの葉のような様々な植物的な鉄製の装飾が施されている。柱頭からは尖頭アーチ曲線の梁が延び天上部で結ばれている。鉄という工業的な素材を装飾でカモフラージュして使っているようである。
中世の職人が手がけたようで手工業的である。
装飾細部にわたってラスキンの好みがこの建築ににじみ出ているように思える。
ガラス、鉄という新しい建築素材を使い、それをラスキンのゴシック好みに細部まで引き寄せていて、新しい建築はゴシックリバイバルとアーツ・アンド・クラフツは一体で進めて行く方向性を付けたと思われる。
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